明日、嫁に行きます!
「君にお礼がしたいのですが、この後、」

「ごめんなさいお断りします」

 畳みかけるように言葉を重ねられて、一瞬呆気に取られた。

 ――――なに? 今、僕は断られたのか?

 そのことを脳が理解するまで時間がかかってしまった。
 すげなく袖にされるなど今まで経験したことがなかった。
 彼女の素っ気なさ過ぎる態度に一つの疑問が湧いた。

「きみ、僕が誰だか知ってますか?」

 その答えは、

「あのお祖母さんのお孫さんでしょ?」

 至極単純なものだった。
 今の言葉でハッキリと分かった。
 彼女はやはり僕のことを知らない。
 鷹城コンツェルンを名実ともに支える男だと知らないのだ。
 だから彼女は、鷹城という大きな名を取っ払った一個人として僕を捉えた。
 なんの鎧も付加価値も付けない、僕自身を。
 今までそんな風に僕を見てくれる者など皆無に等しかったのに。
 僕は思わず声をあげて笑ってしまった。
 その通りだと肯定した。まっすぐに僕個人を見てくれる彼女の存在が好ましくて、嬉しさに顔が緩んだ。
 そして、僕は試そうとした。
 僕が鷹城の名を明かしたら、彼女がどういう反応を示すのか。
 他の女と同じように掌を返して僕にすり寄ってくるのか。
 それとも、態度は変わらないのか。

「名前、教えてませんでしたね。僕は、」

「教えてくれなくてもいい。だって、もう会うこともないだろうし」

 瞬間、全身に震えが走った。
 僕に全く興味を示さない寧音に、焦がれるような激しい所有欲が芽生える。

 ……この女が欲しい。

 このまま逃がしたくはない。けれど。
 今はまだその時ではない。
 逃げられないように、万全な罠を張りめぐらせなければ。
 そして、必ずこの手に捕らえてやる。
 唇がクッと弓なりに吊り上がる。

「……くくっ」

 こんなに楽しいのは初めてだ。
 今は逃がそう、ルネ。……いや、寧音。
 喉の奥から低い笑いが零れる。
 僕は彼女に振り払われた手をそのままに走り去る寧音の後ろ姿を、僕の獲物を、唇に笑みを刻んだまま昏い眸で見送った。
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