明日、嫁に行きます!
チラリと彼の横顔を覗うと、表情は乏しいなりに喜んでくれているのが分かったから、まあ良しとしよう。
社会的地位を守るため、そして、彼を想う己の愛を守るため、3億という大金を支払ってまで偽装結婚を望む彼の気持ち、私、ちゃんと理解した。だから、これも良し。
ただ、呼び捨てだけは気に入らない。
「呼び捨てだけはイヤ」
「なぜ?」
鷹城さんは持っていた箸をぴたりと止めて、すうっと双眸を眇めた。
険しい彼の目が、何故か私を責めているようでめちゃくちゃ怖い。
「……なんかイヤ」
明確な理由なんてないけれど、馴れ馴れしすぎてとてもイヤなんです、はい。
「……彼には名前で呼ばせてるくせに」
彼? 誰のこと言ってるんだろう、鷹城さん。
私は首を傾げた。
「同じ大学の……浩紀くん、でしたか?」
え? 浩紀? だって、浩紀は幼馴染みみたいなものだし、呼び捨てくらいいいんじゃないの?
心を暴かれてしまいそうな眸で射貫かれて、後ろ暗いことなんて何もないんだけど、つい挙動不審になって視線を泳がせてしまう。
なんか刑事に尋問されてる犯人的な気分なんですが。
濡れ衣を着せられた上に自供しろーって言われてる気がしてムッとする。
「浩紀は私のツレだもん、呼び捨てくらいするでしょ?」
「あの男は、寧音の彼氏ではないんですか」
「ゲッ、やめて気持ち悪いアレは友達」
冗談っぽくそれらしいことは言われるけども、私にはそんな気持ちはミジンコ程もない。浩紀が彼氏なんて、想像すら出来ないし、むしろ笑いしか出てこない。
「それはいい心がけです」
鷹城さんは、うんうんと満足げに頷く。
意味が分からない。偽装結婚の相手にまで貞操を求めると言うんだろうか。
鷹城さんは、実は潔癖な男なのかも知れない。……腐界な汚部屋に住む潔癖症な男。
なんかシュールで笑えない。
やっぱりゲイ様の心情は、私のような凡人には計り知れないわ。
なんて、無礼千万な言葉は心の中に留めておいて、空っぽになったお皿を集めた私は、食器を洗うためにキッチンへと下がった。
この土日は掃除一色で潰れる覚悟で、テキパキと片付けを再開する。
ストッキングとハンガーで作った簡易モップをズボンに差し、掃除機片手にまだ手つかずの部屋を駆けずり回る。
私はドアノブに手をかけながら振り返った。
視線の先には鷹城さん。ソファーにゆったりと腰掛けて、食後のコーヒーを飲みながら新聞チェックに勤しむ彼へと声を掛けた。
「鷹城さーん、寝室掃除したいから入らせてもらうよー」
「どうぞ」
入室の許可を得た私は、寝室の扉を開けたんだけど。開けた瞬間、歓声を上げてしまった。
寝室は、思ってた以上に綺麗だった。昨夜は円卓のランプしか付いていなかったからよく分からなかったけれど、よく見るとチリ一つ落ちていない。
さすがに寝るスペースは汚せないらしいわね。
普通の感覚を見いだせてちょっと安心した。
そう思って部屋へと足を踏み入れた時、ベッド脇にあるサイドボードに目が留まった。
あれ?
サイドボードの上に飾られたモノ。
薄汚れた小さな木彫りの天使像が、不釣り合いなほど綺麗なガラスケースの中に納められていたんだ。
鷹城さんが天使像?
なんか意外。
まじまじとその天使像をのぞき込んだ時、心の琴線に何かが触れた。
ちょっと待って。これ、どっかで見たことあるような……?