明日、嫁に行きます!


「……寧音ッ」

 バンッと、寝室の扉が壊れそうな音を立てて開かれる。あまりの大音響に、私はびっくりして目を丸くした。

「ど、どしたの?」

 もの凄く焦った顔で突然現れた鷹城さんに、私は間の抜けた声をかけてしまった。

「寧音が隣に……」

 ――――いないから驚いた。

 私の姿を見て、ホッと安堵の表情を浮かべながらそう言う彼に、性懲りもなく嬉しくなってしまう。

「お腹すいたでしょ。ご飯作ったよ」

 簡単なものばかりだけど、鷹城さんが美味しいっておかわりしてくれたものばかり作ってみたんだ。
 もちろん、甘い卵焼きもある。

「……ありがとう」

 悪夢から目覚めたようにホッと微笑を浮かべる彼につられて、私も口元を緩めた。
 そして、きゅっと唇を引き締め、コクリと唾を飲み込む。

 ――――覚悟、決めなきゃ。

 鷹城さんに視線を向けながら大きく息を吸い込むと、私は勢いよく頭を下げた。

「本当のこと話すの怖くて……逃げ出してごめんなさい。ちゃんと説明しなくて、知ってたのに黙ってて、隠して……本当にごめんなさい。手紙にも書いたけど、私、12年前、貴方と会ってないんだ。私じゃないんだよ。鷹城さんの『天使』は、」

「いえ。あれは寧音、貴女です」

 私の言葉を遮り、鷹城さんは首を横に振る。頑とした揺るぎない彼の答えに、私は『やっぱり』と、嘆息した。

「やっぱり誤解してるんだね。貴方と昔出逢ったのは、妹のサラなの。この前家で見たでしょ。私と同じ紫の瞳の子」

「いいえ、あの子ではない。絶対に違う。実は、僕はメンサ会員なのですが、記憶力はジャパンメンサ内でも随一なのです。幼い頃から一度見たものは決して忘れない。間違えようがないのです」

 ……いや、今自慢したでしょ。自画自賛したでしょ。ってか、メンサって確か、全人口上位2%の高い知能指数を持った人達が会員っていう……アレですか?

 ……実物、初めて見た。
 この人、やっぱりスゴい人だったんだ。愕然とした目を鷹城さんに向ける。
 でも。
 いくら知能指数が高いから、記憶力がずば抜けて良いからといって、12年も昔のことを鮮明に覚えていられるわけがないと、私は思う。
 本人が違うって言ってんのに、どうしてこんなにもはっきりと私だって断定できるんだろうか。
 謎で仕方ない。
 ムッとしながら、私ではない、違うのだと説明した。

「鷹城さんは頑固だなぁ。頭が良すぎてカチコチなんだよ。本人が絶対違うって言ってんのに。マタイの福音書を誰かに話した記憶、私にはないのよ」

「寧音。鷹城さん、ではなく、名前で呼ぶように言いましたよね」

 うぐっと言葉に詰まった。
 それは今も有効だったのかと驚いた。

「鷹城さ、……そ、総一郎さんは、昔出逢った女の子が私じゃなくても――――沢山いた人達の中から、私のこと、見つけてくれた?」

 初めて出逢った、あの時。
 あのパーティで大勢いた女性達の中から、何の付加価値もない私を、貴方は見つけ出してくれた。それは、彼が昔出逢った『天使』と私が、似ている容姿だったからにすぎない。
 でも、私が『天使』とは似ても似つかない容姿だったら?
 私は、貴方に愛されるチャンスがあったのだろうか。
 それは、まるでシンデレラのように、偶然王子様に見初められて、恋をして、そして最後はハッピーエンド。
 ……私達には全く当てはまらない?
 過去の柵《しがらみ》など関係なく、私は貴方に愛されるチャンスはあった?
 私は期待の籠もった目で、鷹城さんを見つめた。

「どうでしょうか。あの少女の面影が欠片もなかったら、分からずにそのまま素通りしていたでしょうね」

 ――――昔出逢った少女の面影を残しすぎていたから、貴女は僕の目に止まった。

 鷹城さんはそう言った。
 すっと血の気が引いてゆく心地がした。
 過去の少女に似ていたから私に惹かれただけなのだと言われたも同然のセリフ。
 哀しくて、悔しくて。
 私自身ではダメなのだと、意味がないのだと言われたようで、無性に腹が立った。

「……もういい。鷹城さんなんて、サラと婚約でも結婚でもしたらいいんだ! もう知らないっ」

 興奮して声を荒げてしまうほど頭に来て、ただただ哀しくて。大声で泣き出したい衝動に駆られた。

「何をそんなに怒るんですか? 僕が好きなのは寧音だと伝えているのに」

 椅子から立ち上がった私の腕を、鷹城さんは困り果てた顔をして掴んだ。
 私は怒りのまま、掴まれた腕を乱暴に振り払う。

「それは、私が過去に出逢った少女だったって前提があってこそ、でしょ!?」

「だから、それは寧音、貴女だと何度言ったらわかるのか」

「鷹城さんこそ、それが私じゃないって何度言ったら理解してくれるの!」

 堂々巡りだった。
 鷹城さんが理解してくれないと、私は前に進めない。
 過去の少女が私ではないと理解してくれた上で、私という存在を求めて欲しいのに。
 それなら、私は喜んで貴方の腕に飛び込めるのに。
 彼の腕を振り払った私は、そのまま自分にあてがわれた部屋へと飛び込んで鍵をかけた。
 鍵なんて意味ないって知ってるけど、掛けずにはおれなかった。
 走ってきた勢いのままベッドにバフッと飛び込んで、俯せのまま顔を布団に埋める。

「……私、どうしたらいいの……」

 ――――どうしたら、過去の少女が私じゃないって分かってもらえるの? どうしたら、過去など関係なく私自身を愛してくれるの?
 グルグルと、心の中から渇望の念が溢れ出す。 

 貴方の心が欲しい。

 単純明快な欲求が満たされなくて。
 私の心は、渇望にジリジリと炙《あぶ》られ、灼熱の太陽に焼かれる砂漠のように渇いてゆく。
 ぎゅうっとシーツを握りしめ、もう何も考えたくはないと気怠い疲労に身を任せたまま、私は潤みだす瞼をきつく閉ざした。

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