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私も貴一さんも、お婆さんの呼んだその名前に戸惑った。だって紋次郎と言ったら、それは、その名前は貴一さんのおじいさんのことだから……。
「どういうこと……?」
貴一さんが小声で尋ねながら私の方を見る。私にもわけがわからず、首をぶんぶん左右に振った。
(あたしだって意味不明だからっ!!)
そう思いながら貴一さんの顔を見返すと、貴一さんも困った様に肩を竦めた。
「紋次郎さん、千代ちゃん……こっちへいらっしゃい。梅の花が綺麗なのよ」
言いながら、お婆さんは私の手を引いた。
引かれるままに私と貴一さんがお婆さんについて行くと、お庭の梅の木の前でお婆さんが足を止めた。
見上げれば、小さな白い梅の花がぽつぽつと咲いていた。
「綺麗だねぇ」
貴一さんが目を細めながらそう呟いた。
するとお婆さんは「そうでしょう」とにこりと優しい笑みを零した。
私はなんだかその表情に驚いてしまった。だって、ずっと恐い人だと思っていたのに、こんな風に優しく柔らかく笑うから。
(ほんとは、きっと優しいお婆ちゃんなんだ……)
そう思うと、胸の奥がつきんと痛んだ。
「ねぇ千代ちゃん」
「はっ、はいっ!!」
ふいに声を掛けられて、私は思わず返事をしてしまった。本当は「千代ちゃん」という人じゃないけど。
どうやらお婆ちゃんは、貴一さんを「古川紋次郎さん」に。私を「千代ちゃん」だと思い込んでいるみたいだった。
貴一さんは古川紋次郎さんのお孫さんだからわかるけど、私の「千代ちゃん」という人は誰なんだろう……。
「ねぇ、千代ちゃん。わたし、本当は……」
私の手を握り締め、お婆ちゃんがなにかを言い掛けたその時。
「居たっ!大叔母さまっ!!」
遠くの方からそう声が上がった。