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そんな楽しかったひと時のあと。
シキお婆ちゃんがふいに千代紙を折る手を止めた。顔を見れば、お婆ちゃんはぼろぼろと泣き出していた。
「えっ、シキさんっ!?」
びっくりして思わず大きな声が上がる。
貴一さんもすぐに立ち上がってお婆ちゃんの所へ駆け寄った。
「大丈夫ですかっ!?どうしたんですか、急にっ」
「紋次郎さんっ、わたし……っ」
貴一さんが肩を抱くようにして支えると、シキお婆ちゃんは泣いていた顔を上げて貴一さんを見た。
「紋次郎さん、あなた……っ」
そして……
ばちん っと大きな音を響かせて、シキお婆ちゃんは貴一さんの頬を強く叩いた。
「えっ……」
思わず間抜けな声が漏れる。
咄嗟の事で私も貴一さんも訳がわからず固まった。ただただ目を大きく見開いてお婆ちゃんを見つめるだけしか出来なかった。
「紋次郎さんっ、あなた最低よっ!!」
そんな怒鳴り声が部屋に響いた……。
「まっ、シキさん、待ってっ!!」
とても90歳になるお婆ちゃんとは思えない迫力で貴一さんに掴みかかるシキお婆ちゃんを私は必死で止めた。
「落ち着いてっ!!」
「離してっ、千代ちゃんっ!!この男だけは許しちゃいけないのよっ!!」
なぜかは知らないけれど、シキお婆ちゃんはもの凄く怒っていた。
その表情は、昔ママを叩いたあの時と同じ顔をしていて、少し恐かった。
……しばらく抵抗したあと、お婆ちゃんは私の手を握って静かに泣いた。
「酷いのよ……、紋次郎さんは、あなたを忘れて他の女に……っ」
私の手を痛いくらいに握り締めながら、お婆ちゃんはそう言葉を零す。
千代さんを忘れて紋次郎さんは他の女の人と一緒になった。それは、那由多さんのお母さんのことで……。
私はなにも言えなかった。
お婆ちゃんの許せない気持ちもわかる。
けど、私は……私もママの子どもだから、違う女の人と一緒になった紋次郎さんを責めることはどうしても出来なかった。
(きっと……あたしが思う以上に、あたしが生まれてきたことで辛い思いをした人はいっぱい居るんだよね……シキさんみたいに……)
そうぼんやり思いながら、私はぎゅっとシキお婆ちゃんの手を握り返した。
(ごめんなさい……)
そう心のなかで唱えたその時……
「忘れてなんかいないよ」
貴一さんがぽつりとそう呟いた。
「……忘れてない。千代の事はずっと愛しているよ」
貴一さんはまっすぐ私とシキお婆ちゃんを見つめた。
真剣な表情。愛していると言ったその言葉は、とても優しかった。