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「……せくはらっ」
「あれ?嫌だった?」
余裕綽々に聞き返される。
悔しいけど嫌だと言えなかった。
「嫌じゃないよね?
だって奈々ちゃん、僕のこと好きだもんね?」
いつかと同じようににこにこ笑いながら貴一さんはそう言った。
ホワイトデー以降、貴一さんはことあるごとに好きだとか愛してるだとか……それ以上の大人っぽい口説き文句を使ってくる。
私はと言うと、逆に恥ずかしがって好きとかどんどん言えなくなっていた。
(だって貴一さんみたいな大人っぽい口説き文句とかも言えないし。恥ずかしいし……)
そのせいか、貴一さんはこうして私をからかう風に聞いてくることが多くなった。
「うっ……あたしもう行くからっ」
恥ずかしくて顔を背ける。やっぱり好きなんて今更恥ずかしくて言えないし。
「うん。気をつけてね」
私の反応を楽しむように貴一さんが笑う。これは完全にからかわれてる。
「いってきます」
貰った鍵を大切に仕舞って。そのまま手を振りながら別れる。貴一さんも小さく手を振ってくれた。
歩き出すとキャリーバックがカラカラと鳴る。リズムよくカラカラ、カラカラ。
……だけど少し歩いたところで私はふいに音を止めた。
立ち止まってくるりと振り返ると、貴一さんはまだそこに居た。
目が合うと、小さく笑ってくれて。
それだけで胸の奥がかぁっと熱くなった。
「きーちさん!」
気がつけば。無意識に遠くに居る貴一さんに向けて声を上げていた。すると貴一さんは少しだけ驚いたみたいな顔をした。
私はすぅっと深く息をする。
そして、精一杯に声を張り上げる。
41歳のおじさんに向けて。
16歳の、まだまだ子供の、
私が言える最上級の愛の言葉を……。
「きーちさん大好きっ!」