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ビーフシチュー

■ □ ■ □


『ビーフシチューが食べたいです。 古川貴一』

あまりにも唐突なそのメールを受信したのは、帰り道の最中だった。待ちに待った貴一さんからのメールはビーフシチューが食べたいと言うなんとも一方的な内容だった。



『ビーフシチューですか?駅の裏の洋食屋さんのメニューにあったと思います』

そう返信すると、すぐに電話がかかってきた。



『僕は奈々ちゃんの作ったシチューが食べたいです』

電話に出ると、もしもしもすっ飛ばして貴一さんがそんなことを言う。


「なんですか急に……」

『約束したでしょ?まさか、こないだの言葉はおじさんを誑かすための嘘だったの?』


誑かすなんて、どの口が言う。




「……えーっと、あたしなにか約束しましたっけ?」


身に覚えがなくて恐る恐るそう尋ねてみると、貴一さんがむっとしたのが電話越しでもなんとなく伝わった。


『ご飯作ってくれるって言った』

「あぁ!」


思い出した。
あの日の、さらっとかわされたあれだ。


自分で断っときながら催促してくるってどうなの?
さては『松嶋やよい』に振られた?
それとも、ご飯の用意に困るほどお金無いの?





『そういうわけで。ビーフシチュー、作ってくれますか?』


色々思うことはあるものの。ごっこ遊びみたいに、わざとらしく敬語を使う貴一さんが可愛いのでとりあえず気にしないでおくことにする。



「冷蔵庫、空なんじゃないの?」

『空です』

「大きなお鍋はありますか?」

『ありませんが、食器類は揃ってます』



なんで食器だけ揃ってるのとは聞き返せなかった。全て自信満々に答える貴一さんに思わず笑いがこみ上げてきたから。

なんなんだこの可愛いおじさんは……。




「……じゃあ、まずはスーパーでデートですね」


そう返すと、貴一さんが嬉しそうに笑った。気がした。

電話越しなのが惜しい。


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