1641
古川家の玄関は広かった。
なんならお布団とか敷いて寝れそうなほど、広かった。
そんな広い玄関に入ると貴一さんが奥に向かって元気良く声を上げる。
「母さーん!帰ったよー」
すると、「はいはい、今行きますよー」と上品そうな女の人の声とパタパタと廊下を駆ける音が聞こえてきた。
廊下の角から出てきたのは、品の良さそうなご婦人だった。
「まぁ可愛いらしいお嬢さんだこと。遠いところよくきたわね」
にこりと目じりに優しい皺を寄せてそのご婦人が私に声を掛ける。
「こっ、こんにちは!お招きありがとうございます。あたっ……わたし、相沢奈々子といいます、お世話になります」
慌ててぺこりと頭を下げる。噛み噛みの挨拶になってしまって恥ずかしい。
「はい、こんにちは。貴一の母の古川藤子です。よろしくね。
寒かったでしょう?さ、上がって頂戴」
そう優しく言われてほっとなる。
促されるまま玄関に上がり荷物を置かせてもらうと、そのまま奥の部屋に通された。
「早速だけど、お父さんに挨拶してね」
そう言って藤子さんが続き間の襖を開ける。向こうの部屋に居たのは着物を着た初老の男性。貴一さんのお父さんは、厳格そうな佇まいの静かな人だった。
あまり貴一さんとは似てないかも……。
あ、でも目元は似てるかな。
「あなた、貴一がお嫁さん連れて来たわよ」
藤子さんがそんなことを言うので、私は内心ドキドキ。婚約者のふりとは言え、貴一さんのご両親に失礼な態度はとれない。
貴一さんが先に部屋に入りお父さんの前に正座して座る。私も慌ててそれを習って貴一さんの横に正座する。
「父さん、約束通り連れて来たよ。僕の婚約者。相沢奈々子さん」
「相沢奈々子です。はじめまして」
深く頭を下げる。
相変わらず心臓はばくばくと早く脈打っていて、喉はもうからから。声は少し震えてたかもしれない。
「……若いな」
向かい側からぽつりとそんな声が漏れた。ちょっと顔を上げると、貴一さんのお父さんは少し困惑しているような表情だった。
「本当にお前さんの嫁さんなのか、貴一」
「奈々ちゃんが高校卒業しても心変わりしてなかったらそうなる予定」
叱る様な低い声。問い掛けられた貴一さんは相変わらずのへらっとした表情で答えている。
そんなやりとりに内心でハラハラしていたら、ふいにお父さんの視線が貴一さんから私に移される。
厳しい目つきにじっと見据えられて、私はびくりと身構える。
「奈々子さん」
「はっ、はいっ!!」
名前を呼ばれ、反射的に返した返事は声が裏返った。
「貴一をよろしくお願いします」
畳に手をついて頭を下げられた。
土下座せんばかりの勢いに、私もつられて同じ様に頭を下げる。
「こちらこそ、よろしくお願いします」
婚約者のふりであることも忘れて。
無意識にそう応えた。