ヒカリ
ドトールコーヒーは本当に駅の真正面にあった。
小さな店構え。
いつもサラリーマンや近所の主婦で混んでいた。
店に入ると、一番奥の席にりなの父親が座っているのが見えた。
拓海はコーヒーを注文すると、片手にカップをもち、りなの父親の前に座った。
「遅くなりました」
「そんなに待ってないよ。喫煙席しか空いてなかったんだけど、よかったかな」
「はい」
拓海は頷いた。
正明はアイスコーヒーを一口飲む。
それから静かに拓海を見つめた。
「変わらないね。あの頃のままだ」
「……」
「電話はもらえないと思っていた。僕が君の立場だったら、とても電話なんかできないだろうと思って」
拓海はうつむいた。
「りなが……拓海先生のことをよく家で話すんだ。とても好きなようで。同じ名前だったけれど、まさか同一人物だとは思っていなかった。あの日君を見て、巡り合わせの不思議を実感したよ……りなは、幼稚園ではどうかな」
「お友達とも仲良くしていますし、一人でのお支度も上手にできるようになってきました」
「そうか……」
正明はまたアイスコーヒーに口をつけた。
しばらく二人の間に沈黙がながれる。
拓海はただひたすらにうつむいて、何も言うことができなかった。
「お母さんが、あの後すぐ亡くなられたと伺った」
「……はい」
「君は一人で、ここまで来たのかい?」
「……幼なじみと一緒に暮らしています」
「幼なじみ、ああ、あのきれいな男の子か」
「はい」
「そうか……」
拓海は正明の顔をうかがう。
どうして穏やかに話していられるのだろう。
本当は自分を憎んでいるだろうに。
「あの時は申し訳なかった」
正明が言った。
拓海は驚いて目を開く。
「君が失ったものと、僕の失ったものは、まったく同じだったのに、僕は君を責めてしまった。死んで償えと、君の母親に怒鳴った」
「……それは、当然のことだと思います」
拓海は言った。
「言霊を知ってる? 言葉は発した瞬間、力を持つ。僕は君の母親が亡くなったと聞いて、僕が殺したんだと思った。正直、そのときは当然の報いだと思った。できることなら、もっと苦しんで、死んでほしかったと……さえ思った。申し訳ない」
拓海は首を振る。
「僕はそれから闇にとらわれた。悪意が身体から出て行かないんだ。一度闇に捕まると、なかなか逃げられない。悪意は身体を蝕んで、側にある光に気づかなくなる」
正明は恥じるようにうなだれた。
「鈴音が亡くなってから数年間、僕は闇の中を歩いていた。どんなに歩いても真っ暗なんだ。死んだら彼女の側にいけるのかもと、何度か想像もした。鈴音とはすでに別れていたけれど、僕にはまだ一番大切な人で、愛している人だったから」
正明は眼鏡を指で少し直し、拓海を見た。
「りなの母親とは、病院で会ったんだ。彼女は看護師で。最初は話しかけてくる彼女を避けたくてね」
拓海はりなの母親を思い浮かべた。
明るくてはつらつとしている。
りなにそっくりだ。
「彼女はいつのまにか、僕の闇を照らす光になった。彼女は全部知っていて、それでも僕と一緒にいてくれた。僕は随分扱いづらくて、鬱陶しい男だったと思うよ。自分の感情をコントロールできなくて、彼女にあたってしまったり、鈴音を思い出して呆然としたりね。でも彼女はずっと側にいてくれた。そしてりなを授かった」
拓海は正明の顔を見た。穏やかな笑みを浮かべている。
「僕たちは生きている。闇にとらわれていたら、その先には死しかない。その死は幸福な終わりじゃない。永遠の闇に放り込まれるだけだ」
正明が言った。
「君の闇を照らす光を、見つけてほしいんだ」
拓海は涙が出そうになるのをぐっと堪えた。
「なんだか偉そうなことを言ってしまったけれど、君がまだ……つらそうにしていたから」
正明は言った。
「確かに君を見ると複雑な思いがある。りなと話している姿を見ると、過去のことだとは思っても、りなを奪われるんじゃないかと、そんな不安にもとらわれそうになるけれど」
正明はそう言うと席を立つ。
「子供には、無条件の愛を与えた方がいいと、そう思うから」
そう言った。
「りなをよろしく。今度はもっと、ぎゅっとりなを抱きしめてやって」
正明は拓海の肩に一度手を置くと、店を出て行った。