ヒカリ
実際別れを切り出すのは、気が重い。
ゆきの顔を見ると、用意していた言葉は飲み込まれる。
平日は話をしようと心を決めているが、週末になると気持ちがくじける。
ずるずると関係を続けることが、二人にとって良くないということは分かっていた。
けれど言いだせない。
まだ彼女を必要としていた。
週末、彼女からの誘いで、映画館で待ち合わせをした。
気づけば九月も半ばになろうとしている。
陽のあたる場所は汗をかくけれど、日陰はひんやりとしている。
ゆきの体調は良くなったようだ。
驚くほどの食欲を見せ、ゆきの顔は少しふっくらしてきている。
「食欲の秋」
ゆきはそういって照れたように笑う。
チケットを二枚買って、ロビーで待つ。
ゆきが前から見たいと言っていた、ディズニーのアニメーション映画だ。
柱にもたれて彼女を待った。
外は快晴。
ロビーは冷房の効き過ぎで肌寒い。
ゆきがエントランスから入って来た。
ゆったりとしたグレーのワンピースに、よく見るグリーンの薄手のカーディガンをはおっている。
足下のオペラシューズは見たことがなかった。
「拓海先生、早いですね」
ゆきが笑顔で言う。
「チケット買っといたよ」
拓海はゆきに一枚手渡した。
「わたし、ポップコーンが食べたいです」
ゆきが言う。
「あとコーラも」
「いいよ、買おう」
拓海とゆきは売店にならんだ。
ゆきはさりげなく拓海の腕を組んだ。
ポップコーンの香りが漂っている。
ゆきは上に掲示されているメニューを見て「ダブル」と言う。
「そんなに食べられるの?」
「うん。おなかぺこぺこ。拓海先生も食べるでしょ? コーラはLで」
「朝ご飯食べてこなかったの?」
「食べました」
ゆきが当然という顔で答える。
ついこの間までぐったりとして、何も食べられなかったので、彼女が食欲を見せるとうれしい。
トレーを持って、エスカレーターでシアターへとあがる。
ゆきを見ると本当に楽しそうにしている。
拓海は今週もまた何も話をできないのではないか、という予感がした。
無理だ。とても。
「なんか寒いですね」
ゆきが両手で身体をさすりながら言った。
「映画館って冷房がききすぎるよね」
拓海は同意する。
「ほら、あそこでブランケット借りられるよ」
「借りて来ちゃお」
ゆきが壁際に並べられた棚に向かって走りだす。
振り返り「先生もいる?」と身振りで訊ねた。
拓海は首を振った。
休日ということもあって、混んでいた。
子供連れもたくさんいる。
ゆきと二人、シアターの後方の席に座った。
前方画面がよく見える。
「いただきます」
ゆきは座るやいなや、ポップコーンを食べだした。
バケツのような大きなカップに、キャラメル味のポップコーンが山ほど入っている。
拓海もひとつつまんだ。
「これ甘いね」
「おいしいです」
ゆきがにこっと笑う。
照明が暗くなるまで、たわいもない話しをする。
兄弟は彼女を含め五人いること。
一番下はまだ十五歳だということ。
実家は飲食店をやっていること。
拓海は彼女の話を聞きながら、こんな人生もあるんだと、考えた。
これが普通の人生。
平凡だけれど、愛されている。
拓海はポップコーンに手を伸ばし、驚いた声を出した。
もう半分以上ない。
「まだ上映始まってないのに」
拓海はあぜんとしてゆきを見る。
「とまらなくって」
ゆきが指を舐めて、恥ずかしそうにうつむいた。
「別にいいけど。俺、ちょっとでいいからさ」
「ありがとうございます」
そういって、ゆきは再び食べ始めた。