ヒカリ
拓海は静かに身体を起こし、ベッドを離れた。
ゆきは壁を向いて、身を丸くしている。
拓海は音を立てないようにバスルームに入った。
女性らしい花柄のシャワーカーテンを開けて、熱いシャワーを浴びた。
何も言わないで出て行くのはよくないと分かっていたが、顔を見てしまったら「さよなら」と言えなくなる。
バスルームの取っ手にかけてあったタオルで身体をふくと、浴槽を出る。
湯気で曇った鏡を手で拭った。
別れを言いだせない、弱気で卑怯な男が一人。
換気扇をつける。
湿気で汗が引いていかないが、拓海はバスルーム内で着替えをすませる。
濡れた前髪を手でかきあげた。
ゆきの部屋を出たら、もう終わりだ。
本当に覚悟はできてるのか?
拓海は自分の顔に問いかける。
再び曇りだした鏡を手で拭うと、鏡前に置かれていた化粧瓶をおとしてしまった。
がたんという音をさせて、瓶は洗面台下に置かれていたプラスチックのゴミ箱に落っこちた。
拓海は身をかがめてゴミ箱を手に取る。
コットンや紙くずが入ったゴミ箱に手を入れて瓶を拾った。
そこで拓海の手が止まる。
これ……。
ゴミ箱のなかから、瓶ではなく違うものを取り出した。
白色のスティック。
真ん中に小窓が二つ空いていて、それぞれの窓に赤いラインが現れている。
拓海はゴミ箱の中を再度のぞく。
そして箱を見つけた。
「妊娠検査薬」
拓海は混乱してきた。
どういうこと?
箱の記載を読む。
「判定窓に赤いラインがある場合は陽性」
再び拓海は小窓を見た。
くっきりと赤いラインが表示されている。
拓海は妊娠検査薬を手に持ち、バスルームを出た。
一気に汗が引いてゆく。
ゆきはまだベッドから動かない。
拓海は自分の鞄を拾うと、玄関でスニーカーをはく。
靴ひもを締め直す余裕はない。
大きな音をさせて玄関を開け、外に飛び出した。
日曜朝の住宅街の空気。
犬の散歩をしている小柄なおばさんが、拓海を見る。
拓海は手の検査薬を慌てて鞄に入れると、早足で歩き出した。
駅の方へまっすぐ。
空を見上げた。
雲一つない。
秋晴れだ。
何も考えられない。
何がおこったのか、理解できない。
とにかく
歩いて、
歩いて、
歩いて。
駅が近づいて来た。
商店街のシャッターは閉まっている。
飲食店の前には使い終わったおしぼりの山。
カラスがゴミを狙って地面をぴょんぴょんとはねている。
唯一空いている、チェーン店のカフェに入った。
「ブレンドを一つ。テイクアウトで」
拓海は鞄を開く。
妊娠検査薬が目に入った。
拓海はそれを鞄の奥に押し込めて、財布を取り出し料金を支払った。
暖かい紙コップを手に、再び道路に出る。
秋風が拓海の前髪をなびかせる。
日差しは暖かい。
駅の改札を通り、ホームに降りる。
自販機横のブルーのベンチに腰掛け、コーヒーに口をつけた。