ヒカリ
結城は再び話出す。
「一年ほど経つと拓海は表面的には元にもどったように見えた。俺は大学に入り、昔通りの関係に戻れたようにも思ったけれど、拓海は相変わらず不安定で、ふさぎ込んだり泣き出したりすると、手が付けられなかった。俺はそんな拓海をみるのがしんどくて、女の子と遊んだりしたけれど、でもやっぱりあいつを見捨てるなんてことはできなかった。全部俺のせいだから」
結城はたいしたことはないというように、穏やかに笑う。
でも奈々子の目には、彼が泣いているように見えた。
「愛してるんですね」
奈々子は思わずそう言った。
結城が奈々子を見る。
悲しそうに
「うん」
とつぶやく。
「俺が女だったら、迷うことなく最後まであいつと一緒にいるだろうと思う。でも俺は男だから。こんな女みたいな顔だけど、男なんだ。俺は女の子が好きだし、男を好きだと思ったことは一度もない。拓海を抱きたいなんてことも、一度も思ったことないんだ」
「性別関係なく、拓海さんの側にいてあげればいいと思います。何も無理に、他の誰かと付き合う必要もないんじゃ……」
結城は膝の上に肘をつき、祈るように顔の前で手を組む。
目を閉じた。
「七月の初め、拓海の心の中に誰か他の人が入り込んだことがわかった。あいつは否定していたけれど、誰かに気を取られ始めているのがわかった。俺たちはもう二十代後半だ。いつまでもこんな風に暮らしてはいけない。いつかは離れなくちゃ。いいタイミングだと思った」
「俺は一度、あいつが離れようとした時に、死を選んでる。あいつが俺から離れるには、俺がもうあいつに執着していないということを、理解させなくちゃいけなかった。俺は自分が他の女性に本気になったと思わせようと考えた」
「今まで付き合って来たような、華やかで目立つ女性ではなく、ごく普通で優しくて、それでいて恋愛経験の少ない子。奈々子さんは理想的だった」
奈々子は心臓をえぐられる。
震えそうになるのを、手を握りしめて堪えた。
「自分で話してても、俺すごい悪いやつだな」
結城は言う
「ごめん」
「でも誰でもよかった訳じゃない。君に話したことは全部本当だ。奈々子さんのことをよく思い出したから、奈々子さんにしようって決めた。初めて本気で女の子をおとそうと思った。君を充分に観察して、どうしたら俺を意識して、恋をしてくれるのか、考えに考えた。自分のことを実在の人間だと思わせるところから始めなくちゃいけない。二歩も三歩も後ろにさがって、俺を見るような子だから。思うようにうまくいかなくて、イライラしたり、嫉妬したりもした。これが恋をするってことなのか、って。初めてそんなことを思った」
結城は奈々子の顔を見つめる。
「怒っていいんだよ」
「……なんていうか、納得しました。私みたいな平凡な女と、あなたみたいな人とではやっぱり釣り合いが取れないから……」
奈々子は笑う。
結城が奈々子の手を引き、抱き寄せた。
彼の香り。
奈々子は目を閉じる。
「君はいつも、人を気遣って、遠慮して、誰かを責めたりも、怒ったりもしない。僕の周りにいる子とは、ぜんぜん違ってた。誰かの不幸を願って、それを喜ぶなんていう愚かなことも君はしない。僕には君が本当に美しく見えるんだ」
「身勝手な話だけれど、僕は君を失いたくない。今更信じて欲しいと言っても、無理な話かもしれないけれど」
「もし、もう一度僕を信じてくれて、共にいてくれるというなら、僕はもう一生、他の女性と関係を持ったりしない。そんな必要ない。約束できる」
「考えて」
結城は最後にそう言うと、奈々子を離した。
立ち上がり、玄関を出て行く。
扉の閉まる音。
しばらくすると窓の外から、結城の去って行く足音がする。
「あの人は全部計算してる」
珠美が言っていた。
「どんなに優しくても、本気だとはかぎらない」
拓海も言っていた。
全部、本当のことだった。
気づかなかったのは、恋愛経験の少ない奈々子だから。
紗英は「結城は夢を見せる」と言っていた。
本当に素敵な夢を見せてもらった。
我慢していた奈々子は、顔を覆って泣き出した。