ヒカリ


奈々子は桶にお湯を入れて、食器を洗い出した。


「母さんがやるわよ」

「いいの。食べただけで、何にもしてないから。お母さん座ってて」

「じゃあ、食器を拭こうかしら」
母親が隣にきた。


シンク正面の小窓から、虫の声が聞こえる。
明かりによってきた虫が、網戸にくっついていた。


「もう少し煮物に火をいれようかしらね」
母親がコンロに火をつける。

換気扇の紐を引っ張ると、ブウンという音がし始めた。


「聡はいつ結婚するって?」

「来年の秋って言ってたわよ」

「まだ一年もあるの?」

「お金を二人でためるんですって。最近の子は計画的ね」

「ここに住む?」

「同居なんてしないわよ」
母親はキッチンを片付けながら笑った。

「じゃあ、聡が出て行くの?」

「そうよ。なんか駅の近くにアパート借りるって言ってた」

「寂しくなるね」

「でも近くに住んでるから。ちょうどいい距離」
母親が言った。

「わたしがこっちに帰ってくるって言ったら、どうする? うれしい?」
奈々子はスポンジでお皿をこすりながら訊ねた。

「帰ってくるの? 就職口なんかないわよ」
母親がびっくりした声をだした。

「車で一時間ぐらいの通勤時間なら、なんとかなるし。それともお見合いして、結婚するとか」

「……須賀さんに失恋したの?」
母親が訊ねる。

「ちがう」
奈々子は首を振った。

「だって突然そんなこと。失恋ぐらいしか考えられないわよ」
母親は言った。

「なんで須賀さん?」
奈々子は意地を張った。

「だって、母さん、男の人須賀さんしか知らないもん」

「……」
奈々子は最後のお皿の水を切って、手を拭いた。

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