ヒカリ
リビングに入って、座卓の前に再び腰を下ろした。
母親がポットと湯のみを持って入ってくる。
「奈々子、そっちのお茶葉とって」
「うん」
奈々子は自分の脇に置いてあった茶筒を母親に手渡した。
お茶の葉の香りが、ゆっくりと部屋に広がる。
考えてみればこうやってお茶を入れて飲むのも久しぶりだ。
いつもペットボトルばかりで、味気ない。
目の前に出された湯のみを両手でつつむ。
暖かくて、ほっとした。
「ねえ、お母さん、お父さんのこと愛してる?」
「……なによ、突然」
母親が目を丸くする。
「愛してるから結婚したんだよね」
「愛というか、タイミングじゃない? 適齢期にお父さんと出会って、結婚しようか、働かなくてもいいよって言ってくれたから、まあ、いっかって結婚したの」
「なにそれ」
奈々子は思わず笑ってしまった。
「お父さん、かわいそう」
母親が一口お茶を飲む。
「かわいそうじゃないわよ。向こうもそんな感じじゃない?」
「じゃあ、愛してないの?」
「う……ん」
母親が首を傾げる。
「愛って人それぞれだからね。出会って恋をして燃え上がって、この人を愛してるわって結婚したけど、離婚しちゃう人もいっぱいいるし。みんな一概に『愛してる』っていうけど、その感情は人それぞれで、誰かに説明できるものじゃあないと思うのよね」
「なんか深いな」
奈々子はまじまじと母親の顔を見つめる。
「子供が産まれたときは、あんたたちを『愛してる』って思ったわよ。それはもうお父さんには感じたことのない感情。この子達のために命を出せって言われたら、躊躇なんかせずすぐに『どうぞ』って出せる。まあ、大人になった今は『自分でなんとかしなさい』って思うけど」
母が笑った。
「お父さんのためには死ねないの?」
「死ねない死ねない」
母が大げさに声を出す。
「むしろ、お父さんよりも一日でも長く生きたいわ。お父さん、一人じゃ何にもできないでしょう。一人で慣れない買い物をして、炊事して、洗濯して、だなんてなんか忍びないわ。面倒を見させられる好美ちゃんや、あんたもわいそうだし。お父さんはわたしにしか威張れないの。あんたたちに遠慮して生きるのも、なんだかかわいそうでね」
母が微笑む。
「それを愛っていうのかな」
奈々子はほおづえをつく。
「これを愛という人もいるかもね」
母親が言った。
「ふうん」
奈々子は再びお茶を飲んだ。
母親とこんな話しをしたことはなかった。
奈々子が大人になったということなんだろうか。
「須賀さんのこと、忘れようとしてるの?」
母親はなんでもないことのように訊ねる。
「迷ってるかな」
「どういうこと?」
「いろいろ複雑なの」
「いいわね、若いって」
母親が背後の茶箪笥からチョコレートの大袋を取り出した。
「須賀さん、いい人だっておもったけどね。あんたのことも好きなんだと思った」
「……」
「言われたでしょう?」
「……うん」
「ほら、やっぱり。そうじゃないかと思ったの。誰が好き好んで、こんな田舎まで来ると思う? チョコ食べる?」
母親がナッツのチョコの包みを差し出す。
「いらない」
奈々子は首を振った。
「あんたも好きなら、なんの問題もないじゃない」
「……」
「あ、煮物の火つけっぱなしだった」
母親は一つチョコを口に入れると、立ち上がり台所へと入って行く。
お母さん、あの人、他に愛してる人がいるんだ。
わたしのことは条件で選んだだけ。
奈々子は心のなかでつぶやいた。