ヒカリ
「奈々子さん、ここ」拓海が奥の席から手をあげる。
奈々子は軽くお辞儀をして、拓海の向かいに座った。
職場の近くのカフェ。
二人がけのテーブルが二つだけ。
主なお客は、テイクアウトでコーヒーを買って行く。
「遅くなりました」
「大丈夫」
拓海がにっこりと笑う。
本当に優しい笑顔だ。
店員が来て
「おうかがいします」
と声をかけた。
「ブレンドを一つお願いします」
奈々子はそう言った。
拓海はすでにアイスコーヒーをオーダーしている。
狭い店内。
コーヒーの香りが漂う。
コーヒー豆の量り売りもしていて、ショーケースはブラウンに染まっていた。
エントランスは解放されていて、秋の優しい風が店内にも入り込んでくる。
ふと横を見る二人乗りの自転車。
母親が小さな子供を、後ろの座席に乗せている。
確かに世の中の学校はお休みらしい。
「お待たせしました」
店員がコーヒーを奈々子の前に置く。
レシートを裏返してテーブルに置いて行った。
奈々子はお砂糖を入れて、一口飲む。
それを合図に、拓海はしゃべりだした。
「この間は本当にごめんなさい」
拓海が頭を下げる。
「いえ」
奈々子は首をふった。
「俺はたまに周りが見えなくなることがあるんだ……結城は何を話したかな」
白いTシャツにグレーのカーディガンを羽織った拓海は、気まずそうにそう訊ねた。
「たぶん、全部」
奈々子は答える。
「そうか……」
拓海はストローに口をつける
「楽しい話じゃないのに、巻き込んでごめんね」
「いえ」
奈々子は再び首を振った。
「結城は奈々子さんからの連絡をずっと待ってるみたいだよ。携帯を手放すのはシャワーを浴びるときぐらい。悪いなと思ったけど、あいつがバスルームにいる間に、携帯から奈々子さんの番号を調べたんだ。どうしても話しておかなくちゃと思って」
「……」
「あの日、結局結城は俺に何がおきたのか、最後まで訊ねなかった。俺を気遣うのを忘れてしまうくらい、奈々子さんに知られたことがショックだったみたいで」
「拓海さんは大丈夫なんですか?」
「俺は大丈夫。全部大丈夫になったんだ」
拓海が笑顔を見せる。
心なしか、以前よりも男性的な雰囲気がある。
気のせいだろうか。
「俺は……俺はずっとあいつを利用してきた。結城の抱える罪悪感につけこんで、自分に縛り付けて来たんだ。あいつが奈々子さんと付き合いだしたとき、すごく不安だった。結城が自分を置いて行くんじゃないか、一人になるんじゃないかって」
拓海は微笑む。
「奈々子さんに見せる結城の顔。あんな優しくてあったかい顔、俺は今まで見たことない。かつては確かに、あいつにとって俺の存在は絶対的で、特別だったと思うけれど、時は流れ、人は変わって行くから」
「優先順位が変わったんだって、あの日気づいた」
拓海がグラスを持ち上げる。一口飲んだ。
「あいつは今まで俺のために生きてきた。いろんなことを犠牲にしてきた。モデルの仕事も本当は続けたかったはずなんだ。結城は割となんでも器用にできるタイプで、熱心に取り組むなんてことはなかったんだけど、モデルの仕事をし始めてから毎日生き生きしてた。楽しそうにしてたんだ。でも徐々に知名度があがり、マンションにまで女の子達が結城を見に来るようになって。あいつは俺の静かな生活が壊されるのを警戒して、すっぱり仕事を辞めてしまった」
拓海は一息つくと、申し訳なさそうな笑みを浮かべた。
「そうですか」
奈々子はそう言った。
「奈々子さんは今、迷ってる?」
拓海が訊ねた。
「……混乱してて、何をどう考えたらいいのか分からない感じです」
「俺たちは、不思議な関係だ。他人にそれを説明するのは難しい。奈々子さんに理解してほしいと言うのは、傲慢だと思ってる。俺はあいつなしでは文字通り生きていけなかったし、あいつも俺を特別だと言っていた」
「もし須賀さんが女性だったら、違う関係になっていたと思いますか?」
奈々子は訊ねる。
拓海は驚いた顔をして、
それから「たぶんね」と言った。
「おそらく、問題を抱えながら、一生一緒にいるんじゃないかな」
拓海が言う。
「でも、俺もあいつも男で、同性愛者じゃないから。あいつがゲイだと思ってるなら、それは間違いだよ。あいつ、女の子大好きだ」
拓海が笑った。
「俺もあいつも男で、同性愛者じゃない。仕方がないんだ。そういう巡り合わせ」
拓海がグラスを空にする。
「結城は軽く見えるけど、本当は情が深い。あいつは奈々子さんに帰って来てほしいと思ってる。きっと奈々子さんを、それこそ死ぬまで大切にするはずだよ」
「……」
奈々子はうつむいた。
「もう少し考えてみて。俺はもうすぐ、結城の側を離れるから、あいつが心配なんだ」
奈々子は顔をあげ、拓海の顔を見た。
優しい笑み。
「家をでるんですか?」
「うん。彼女に……子供ができたんだ」
拓海は照れたように笑った。
「……おめでとうございます」
「ありがとう」
拓海はそう言ってから、席を立った。
「大切なお昼の時間をありがとう。そろそろ失礼するね。伝えたいことは言えたと思う。あとは奈々子さんが決めて」
拓海は手をあげる。
「じゃあ、また」
拓海は笑顔で店を出て行った。