ヒカリ
六
「帰りたい」
奈々子は顔を覆った。
「もうちょっとガンバレ」
珠美がそっと耳打ちする。
奈々子はしぶしぶ仕事に戻る。こんなにも憂鬱な日はなかった。
火曜日。結城が診療所に来る日だ。
時計を見るとそろそろ午前の診療が終わる時間だ。
待合室にはまだ二組の患者さんが待っていて、どんなに奈々子が結城に会いたくなくとも、席を離れる訳にはいかなかった。
二次会の帰り道、奈々子は我慢できずに珠美に電話して、結局は珠美のうちで朝まで話をした。
珠美はせっかくの休みの夜を、惜しみなく奈々子に使ってくれた。
ネットであの女性が誰かまで調べようとした。
「ねえ、それはやめよう」
奈々子は好奇心を抑えてそう言った。
「だってめちゃくちゃ美形だったんでしょ? じゃあきっとモデルだよ。調べればわかると思うよ」
ローテーブルの前にあぐらをかいた珠美は、右手にノートパソコンのキーボード、左手にビールの缶を持って、そう言った。
ノーメークのつやつやした頬は、アルコールで上気していた。
「たぶんね。でも一瞬見ただけだし、もう顔忘れちゃったよ」
奈々子はそう言ったがそれは嘘で、あの光景はしっかりとまぶたに焼き付いていた。
「それにもう一度彼女の顔を見たら、さらに打ちのめされそう」
奈々子はそういうと、テーブルにつっぷした。
「住む世界が違うんだよ」
珠美はそう言うと奈々子の頭をなでた。
「知ってる」
奈々子は使い古されたキーホルダーを思い出した。
「わかってるけど、まざまざと見せつけられて、あがってこれないの」
「あのランクの男子は、身近にいない方がいい。いても近寄らないの。私は完全に一線を引いて騒いでるんだから。わかるでしょう?」
「うん、わかる」
奈々子はちらっと珠美を見た。
「見るだけでお腹いっぱいなの。須賀さんのファンサイト立ち上げてる女子だってそうよ。近寄らずに見てるだけ。奈々子も線を引きなよ」
「うん。引いてるつもりだったんだけど。なんていうか……話をしたら割と普通の人だったし、ちょっと気を緩めちゃって。はあ、でも、やっぱり現実の人じゃないな」
奈々子は顔を起こし、ビールを一口飲んだ。
ちっともおいしくない。アルコールって、気分によってこんなにも味が変わるんだな。