ナムストーンPART2
京都に集合3
オサムオサナイは右京図書館の古書コーナーで
『大文字の送り火の謎』
と言う古書を手にした。
ちょうどみんなが来る時、8月16日にこの送り火がある。
その由来を調べておこうと思ったからだ。
この資料によると「平安時代の末期から中世の初め
にかけて天変地異があいついで起こり京都や鎌倉でも
おびただしい死者が出た。
その諸精霊を弔い天に送り返すための火祭りとして
京都禅宗の五山が中心となってはじめられた」
という説が定着してはいるが、実ははるかそれ以前から
京都盆地では東西北の三方向の五箇所から
八月中旬に火をたく風習があったそうだ。
まだ平城京のころの記録に次のように記されている。
『奈良平城の都の北方十里に大盆地あり。琵琶の水をしたため
底に水がめを擁して東西に伏流あり。北方より二水流れ来たりて
中央にて交わり下大坂へと流れ至りて大海へと注ぐ。北に三山
東西に各峰ありて七月の七日を過ぎて九日目、五山に火を放ち
天空より舟を呼ぶ云々』
原文は漢文だが意訳してある。平安遷都前に帰化人が調査した
ものと思われる。と著者の古書学者の注意書きがしてあった。
『大文字の送り火の謎』
と言う古書を手にした。
ちょうどみんなが来る時、8月16日にこの送り火がある。
その由来を調べておこうと思ったからだ。
この資料によると「平安時代の末期から中世の初め
にかけて天変地異があいついで起こり京都や鎌倉でも
おびただしい死者が出た。
その諸精霊を弔い天に送り返すための火祭りとして
京都禅宗の五山が中心となってはじめられた」
という説が定着してはいるが、実ははるかそれ以前から
京都盆地では東西北の三方向の五箇所から
八月中旬に火をたく風習があったそうだ。
まだ平城京のころの記録に次のように記されている。
『奈良平城の都の北方十里に大盆地あり。琵琶の水をしたため
底に水がめを擁して東西に伏流あり。北方より二水流れ来たりて
中央にて交わり下大坂へと流れ至りて大海へと注ぐ。北に三山
東西に各峰ありて七月の七日を過ぎて九日目、五山に火を放ち
天空より舟を呼ぶ云々』
原文は漢文だが意訳してある。平安遷都前に帰化人が調査した
ものと思われる。と著者の古書学者の注意書きがしてあった。