ナムストーンPART2
送り火4
そして一番西の端が愛宕山登山口の鳥居の形である。
標高300mで林の中なので長い青竹の先端に
たいまつを掲げる。
その数80基。わりとよく見える鳥居の形である。
この送り火は何時のころから始まったかは不明であり
その目的も謎のままである。
平安京以前にそれらしき火祭りの記録もある。
平安時代には仏教の広がりと共に送り火は定着したようだ。
文献によれば時期は旧暦の7月15日ごろが多く
近年はとにかく8月16日のお盆の送り火として
戦前から行われてきたが、
江戸時代には5月とかにも送り火を焚いた記録がある。
不作で五山がそろわない時も、隣村から
薪や人手を借りてきて火をともし続けてきた。
当時送り火は町衆の最重要祭事であたようだ。
標高300mで林の中なので長い青竹の先端に
たいまつを掲げる。
その数80基。わりとよく見える鳥居の形である。
この送り火は何時のころから始まったかは不明であり
その目的も謎のままである。
平安京以前にそれらしき火祭りの記録もある。
平安時代には仏教の広がりと共に送り火は定着したようだ。
文献によれば時期は旧暦の7月15日ごろが多く
近年はとにかく8月16日のお盆の送り火として
戦前から行われてきたが、
江戸時代には5月とかにも送り火を焚いた記録がある。
不作で五山がそろわない時も、隣村から
薪や人手を借りてきて火をともし続けてきた。
当時送り火は町衆の最重要祭事であたようだ。