恋人を振り向かせる方法
社内イジメは、髪を濡らされる事件以来、なりを潜めている。
と言っても、元々他部署の社員なのだから、頻繁に出くわす事はない。
使用する化粧室を変えると、途端に見かけなくなった。
そして、敦哉さんとの関係がおおっびらになった後も、同じ部署の人たちは意外とアッサリしていて、思うほど質問攻めに遭わなかったのだ。
亜由美も、仕事が忙しいせいか、全く何も聞いてこない。
お蔭で、落ち着いた毎日を送れていた。
そう、会社の中では•••。
「敦哉さん、お帰り」
同棲を始めて一週間、この間に二人で一緒に帰った事がない。
いつも敦哉さんの方が、帰りが遅いのだった。
「ただいま。愛来、ほら」
玄関先で、敦哉さんは顔を近付ける。
「また•••?」
少し引き気味の私に、敦哉さんは口を尖らせた。
「当たり前だろ?これが楽しみで帰って来てるのにさ」
『これ』とは、キスの事だ。
どこまで本気なのかは分からないけれど
、同棲を始めてすぐに、『お帰りなさいのキス』をして欲しいと言われた。
そういう訳で、この一週間、敦哉さんが帰って来る度にキスをしている。
だけど、気恥ずかしさの方が強くて、そろそろやめたいと思っているのだった。
「うん。じゃあ•••」
背伸びをし、軽く唇を重ねる。
その素っ気なさが敦哉さんには不満だったのか、ご機嫌斜めにネクタイを外し始めた。
「愛来って、突然大胆になったり、変なところで恥ずかしがってみたり、俺には掴めないよ。気持ちが」
ため息まじりに着替えをする敦哉さんの後ろ姿に、かける言葉が思い浮かばない。
何もそんなあからさまに、機嫌を悪くしなくてもいいではないか。
たかがキス、私はそう思うのに。
「気持ちを掴めないのは、敦哉さんの方だよ。私の事を好きでもないのに、そんなにキスにこだわるの?」
それを言ってはいけないと心では分かっていたのに、敦哉さんの態度が少なからずショックで、口を突いて出ていた。
だけど、後悔先に立たず。
敦哉さんはゆっくり振り向くと、眉間にシワを寄せて私に険しい表情を向けた。
軽蔑されたか、それとも面倒臭いと思われたか。
どんな言葉をかけられるのだろう。
覚悟をしていると、
「好きだよ俺は。愛来が好きだ」
それを言われたのだった。
「私を好き?ねえ、それ本気で言ってるの?」
意味を深読みしそうになる。
からかっているだけなのか、それとも勢いだけなのか。
ほとんど疑いの心で聞くと、敦哉さんは吹き出した。
「そこは、感動するとこじゃないのか?こっちは緊張して言ったというのにさ」
眉を下げて笑う敦哉さんは、半分呆れ顔だ。
「ごめんなさい。だけど、一体いつの間に?」
私はいつの間にか、敦哉さんを振り向かせていたのだろか?
まだ半信半疑な思いだった。