君の温もりを知る

この痛みすら愛おしくて


「一回くらい、私が半分払おうか?
とか言えよ!遠慮して!」

「ちょっと、私の声真似してるつもり?!
やだやめて、ほんとにやめて」


しかもここ電車内だから。
満員電車だから。ほんとにやめて。


「明日が買ってくれるって言ったのに
そんなこと言う?男としてどうよ?」

「いや、買うよ?責任持って買うけどよ?
そりゃ一回くらい

『や、やっぱり私がお金だすよ…』

『おいおい、俺に格好つけさせてくれよ』

みたいな会話をしたいわけ。わかる?」

「わかりません。あと声真似やめなさい」


それに、あの時の若菜さん?
その人なんかとやればいいんじゃない?

なんて思うけど、やっぱり言えない。

もう一度言うが、
ここは電車内。しかも満員電車。

込み入った話はあまりしたくない。

でも今日の彼はたいへんご機嫌らしく
そのお口は休むことを知らない。

テンションが高い時はいつもこうだ。

このまま聞く相手がいる限り
話すだろうから、車内の人混みに紛れて
少しだけ距離をとる。

するとすかさず横の女子高生が
明日に声をかけて、明日も機嫌がいいので
珍しく笑顔で受け答えしていた。

(あれ?私、明日が他の子と話してるの
見てイライラしてない…?)

そう思った時だった。


「…あ!」


思わず声が出た。

するとすぐに、横に立った少し
年上と見えるスーツを着た男が、
『し!静かに』そう耳もとで囁いた。

ニュースでもよく見た。

友達の友達が、被害にあったとか
なんとかいう話もたまに聞いていた。

ドラマや漫画でも、定番の展開だ。

男の手がゆっくりとスカートの中に入る。

背筋が震えた。
冷や汗が、伝った。

ちっとも思わなかった。
まさか、まさか自分がーー


"間も無く、電車が停車いたします。
右側のドアが開きますので、
開閉の際には、お怪我のないよう……"


放送の通り、すぐに電車は止まった。

だが、残念。

降りる駅はまだ先で、
今私がいるのは左側ドア付近。

男の手は未だに足の内側を
感触を楽しむかのように上下しており、
電車を下りそうな気配は微塵もない。

(ああ、このまま…)

このまま、私は…


「すいません。下りるのでどいて下さい」


不意に掴まれた手。
何故か落ち着く、いつものその声。


「……あ、あけ…」


つい先程、恐怖で助けの声も
あげられなかったように、
今度もしっかりとした声は出せなくて。

けれど、君は


「ああ、」


そう返事だけしてくれて、
未だ手を引かなかった男を睨みつけた。


「聞こえませんでした?どいて下さい」


この眼力に敵う人物が果たして
この世に何人いるのだろう。

そんな大袈裟なことを思ってしまう程に
助けられた身の私でさえ怖かった。

男一人だけでなく、
近くにいた全ての人が一瞬で道を開けた。

そのまま堂々と左手はポケットに、
右手は私の手をひいて、歩く明日。

忘れかけていたが、彼は
あの名高い『神に愛された男』なんだ。

改めて、何故こんな男が
私を手助けしようとするのか。
私の前であんなふうに笑うのか。

なにもかも、疑問でならない。
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