唯一の涙
恋芽
「おはようございます、水野先輩」
6時ジャストに玄関の戸を開けると、水野先輩が顔を出す。
野球部に入部してからというもの、先輩との登下校が私の日課になりつつあった。
「おはよう」
優しい先輩の声に胸がキュッとなる。
でも、顔に出して照れるなんて私の性分に合わないから、必死に堪えた。
玄関の鍵を閉めて、先輩に並ぶ。
いつもなら直ぐ歩き出す筈の先輩が、今日は立ち止まったままだ。
向き合ったまま、ジッと私の顔を凝視する。
「……あの、先輩?」
ヒラヒラと手を振ってみるけど、反応はなく完璧にスルー。
何か、今日の先輩変……。
不意に、先輩の手が私の手首を捉えた。
掴まれた手首から、先輩の体温が伝わってきて、言いようもない恥ずかしさが込み上げて来る。
先輩は一歩、距離を詰めた。
コツンとつま先とつま先が当たって、私と先輩の距離はもう直ぐそこだった。
お互いの吐息がはっきりと聴こえる。
手首にあった先輩の手が、肩に移る。
そこからは一瞬だった。
さっきまでは一部しか感じなかった先輩の温もりが、今、全身に感じる。
首筋に掛かる、先輩の吐息。
背中に回された、先輩の両腕。
頬を擽る、先輩の髪。
全てが、夢のようだった。