マッタリ=1ダース【1p集】
第55話、震えるコウモリ
最初、ネズミの死骸かと思った。
私が安全衛生管理者として、工場内をパトロールしていた時の話である。
蝙蝠だ。生きている。
コンクリートの溝の底にぺったりと貼り付いて、動けないのかどうかも分からない。黒い両方の小さなまなこを震わせて、おびえていた。
真夏の炎天下と言うほどでもないが、段ボールの切れ端を拾って日陰を作った。それ以上は、何もしてやれない。
翌日、気になって同じルートを歩く。
近付くと昨日立て掛けた段ボールの切れ端が、倒れているのが見えた。足取りが速くなる。
あれ? いない。
更に覗き込むと、コンクリートの側壁に、逆さまに張り付いていた。
なるほど、コウモリらしい発想だ。自分でも、言っている意味がよく分からない。
日陰になっていて湿り気があり、そして何よりもヒンヤリしている。昼間をやり過ごす気なんだな、と思った。
昔、父が同じような業務を担っていた。子供である私が、父の顔パスで勤務先に入れた時代である。
工場からは、たくさんの樋(とい)が出ていた。樹脂製で、普通の住宅に使うものとは明らかに大きく異なっていた。
「よく詰まるんだ。例えばここ」
ヘルメットに作業着姿の父が指差す。工場の壁をほぼ水平に這う大きな筒で、私の目の高さで割れて、穴が開いている。
「何か聞こえるだろう?」
父に諭されて覗く。鳥?
「スズメの巣だよ。すぐに作る」
父が手を突っ込むと、くちばしの縁の黄色い丸々としたヒナが二羽、巣ごと取り出された。
「かわいい」
父はライトを照らして中を見ている。
「まだ、いる。手、突っ込んでとってみ」
私は促されて、腕を付け根まで差し込み、元気なヒナを1羽、取り出した。
「父さん、まだいるみたい」
再び私の腕が消える。奥の奥まで手を伸ばした時、何か違和感を覚えた。
「父さん! 何かヘンだよ!」
「分かってる」
ぐにゃり、とした感触。
「いいから、取り出すんだ!」
父に叱咤されて、恐る恐る腕を引く。手のひらに乗っていたのは、先の3羽より明らかに小さく痩せ、固く目を閉じたヒナだった。
かわいそう……などと思う以前に、気持ち悪かった。父に手渡してからも、感触が残った。
先の3羽は首を伸ばし、裂けんばかりに口を開けていた。
「これはな、仕方がないことなんだ。分かるか?」
私の顔が、覗き込んだ父の影に覆われた。
──四十年以上も前の記憶だった。それが急によみがえってしまった。
「おい、もう行くからな。ここにいるんじゃないぞ。わかったか?」
そう言い残して、立ち去った。
蝙蝠は相変わらず、体をヒクヒクとさせ、側壁にへばり付いていた。
私が安全衛生管理者として、工場内をパトロールしていた時の話である。
蝙蝠だ。生きている。
コンクリートの溝の底にぺったりと貼り付いて、動けないのかどうかも分からない。黒い両方の小さなまなこを震わせて、おびえていた。
真夏の炎天下と言うほどでもないが、段ボールの切れ端を拾って日陰を作った。それ以上は、何もしてやれない。
翌日、気になって同じルートを歩く。
近付くと昨日立て掛けた段ボールの切れ端が、倒れているのが見えた。足取りが速くなる。
あれ? いない。
更に覗き込むと、コンクリートの側壁に、逆さまに張り付いていた。
なるほど、コウモリらしい発想だ。自分でも、言っている意味がよく分からない。
日陰になっていて湿り気があり、そして何よりもヒンヤリしている。昼間をやり過ごす気なんだな、と思った。
昔、父が同じような業務を担っていた。子供である私が、父の顔パスで勤務先に入れた時代である。
工場からは、たくさんの樋(とい)が出ていた。樹脂製で、普通の住宅に使うものとは明らかに大きく異なっていた。
「よく詰まるんだ。例えばここ」
ヘルメットに作業着姿の父が指差す。工場の壁をほぼ水平に這う大きな筒で、私の目の高さで割れて、穴が開いている。
「何か聞こえるだろう?」
父に諭されて覗く。鳥?
「スズメの巣だよ。すぐに作る」
父が手を突っ込むと、くちばしの縁の黄色い丸々としたヒナが二羽、巣ごと取り出された。
「かわいい」
父はライトを照らして中を見ている。
「まだ、いる。手、突っ込んでとってみ」
私は促されて、腕を付け根まで差し込み、元気なヒナを1羽、取り出した。
「父さん、まだいるみたい」
再び私の腕が消える。奥の奥まで手を伸ばした時、何か違和感を覚えた。
「父さん! 何かヘンだよ!」
「分かってる」
ぐにゃり、とした感触。
「いいから、取り出すんだ!」
父に叱咤されて、恐る恐る腕を引く。手のひらに乗っていたのは、先の3羽より明らかに小さく痩せ、固く目を閉じたヒナだった。
かわいそう……などと思う以前に、気持ち悪かった。父に手渡してからも、感触が残った。
先の3羽は首を伸ばし、裂けんばかりに口を開けていた。
「これはな、仕方がないことなんだ。分かるか?」
私の顔が、覗き込んだ父の影に覆われた。
──四十年以上も前の記憶だった。それが急によみがえってしまった。
「おい、もう行くからな。ここにいるんじゃないぞ。わかったか?」
そう言い残して、立ち去った。
蝙蝠は相変わらず、体をヒクヒクとさせ、側壁にへばり付いていた。