Esperanto〜消える想い出〜
暗闇の中、菘は歩いていた。
「……来たよ」
ゆっくりと辺りを見回し、呼び出した相手を探す。
暗闇の中聞こえるのは自分の呼吸だけだ。
「やぁ、遅かったね。私なんか1時間も前からいたんだよ」
不意に、菘よりも大人びた声が響く。
「・・・別に、来たくて来た訳じゃない。用がないなら帰るよ、「お姉ちゃん」が待ってる」
苛立たしげに、「お姉ちゃん」という部分を強調させて菘は言う。すると、相手から感じていた余裕が微かに薄れた。
菘は憎々しく睨み、後を続ける。
「言っておくけど、薺は何ひとつ覚えていない。Austinだったことも、……natureに、させられたことも……」
俯き、涙を堪えるように言うと相手、芹は柔らかい口調で
「……誰も、クーォを責めてなんかいないよ。むしろ、責められる立場なのは私だ。……私が、あんな失敗をしなかったら、私達は今でも《閉ざされた聖域》内のあの小屋で、安全で不自由に生活出来たんだから」
「クーォじゃない、今は菘って名乗ってる」
だったね、芹は頷くと真っ直ぐに菘を射抜き、真摯な眼差しで告げた。
「誰も菘を責めてない、責めてはいないよ。誰も、誰もね。……でもね菘、菘なら覚えてるだろうけど、私達は元々3人で《セット》だった。そのパワーバランスが崩れたら、私達ふたりは生命活動を維持出来なくなる」
致命的なところを突かれ、返答に困る菘。芹は畳み掛けるように言葉を紡ぐ。
「zephyrと違って、私達ふたりはAustinとしての記憶、意識を持った儘natureになった。当然惑星《astral》と私達Austinの生命維持活動は違う。違う生命活動となると、惑星《astral》に適応した生命活動にしなければいけない」
水が流れるように滑らかに紡がれる言葉に、菘は魅了される。しかし菘は、その言葉に潜む心理を見逃さなかった。
「芹の言うことは尤もだよ、……でも、だからってそれが薺を好きにしていい理由にはならない」
菘は澱みなく言葉を紡ぐと、芹に向けた眼差しを一層強くし、静かな声で続けた。
それに、今の関係を考えたのは他でもない、芹(junk)だったよね」
暗闇に対峙するふたりの少女、両者の間には永きに渡る確執があり、流れる沈黙は永遠のものだった。