もう、明日がないなら…
「危なかった…」

 安堵のため息をつきながら耳元で小さくつぶやいたのは、雄哉ではなく、雅臣だった。

 彼の吐息が首筋に伝わり、間近に迫る彼の体温が美妃のすべての神経に安心感を与えていた。散らばったパズルのピースが、美妃の空っぽの記憶に所々にはまっていくようなそんな感覚…

 しかしそれも束の間、美妃から雅臣が離れ、先に階段を降りて行ったのだ。彼は、左手を右手でさすっていた。

「あ、雅臣さん…」

 彼の背中にやっとそう呼びかけると、彼は立ち止まり、躊躇いながら振り返った。どことなく寂しそうな笑顔が、美妃の体の中をナイフでえぐられるような衝撃を与えていた。

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