ノーチェ
「それじゃあ、あたしそろそろ行くね。」
雨足が強くなる前に引き上げようと
あたしはカバンを手に席を立つ。
啓介さんにコーヒーのお礼を言おうと階段に視線を移すと
「あいつ、多分寝てるから。」
と薫がカウンターの中に入り、二つのカップをシンクに置いた。
「そっか…。」
お礼を言えなかったのは少し残念だったけど
それを伝える為だけに起こしてもらうのは申し訳ないと思い、あたしは出口に向かう。
「じゃあ、百合子さんに連絡入れてね。」
「…あぁ。」
その返事を聞いて納得したあたしは
思い残す事なく扉に手を掛ける。
扉の外には
降りしきる雨が容赦なく地面を叩いていて
車まで走らなきゃ、そう考えて一歩足を踏み出すと
「…莉伊、」と呼び止められてあたしは振り返った。
「また、来いよ。」
寝癖のついた髪の毛をかき上げて薫は照れたように笑った。
心臓が音を立てる。
「……うん。」
熱くなった顔を隠すように俯いて頷くと
振り止まない雨の中へ走り出した。