ひとりぼっちの
黄身は
鳥籠の中に卵が一つ。
私はそれを横目に見つめる。かの有名な画家の絵を彷彿とさせる異常な光景を前に、いつもの通り、黄色いカップに注がれた生温い珈琲を啜る。
鳥籠はリビングの、タンスの上に置かれていた。昨日までそこにはなかったので、多分、それは私の息子が購入したものなのだろう。
溜息。新聞を広げて、トーストを口に含む。そこで、誰かが階段を降りてくる音がした。私は新聞から視線を逸らすことなく、現れた人物に意識を向ける。鳥籠を買ったと思わしき、当の本人だ。
「おはよう」
壮盛であるべき高校の時期に、私の息子は陰気臭い顔をして、じっとこちらを見つめてくる。これが反抗期という厄介な代物だとしたら未だマシだ。私の息子は、私には滅多に口を利かない。
けれど、喋ることができないのではないらしい。以前、彼が同級生と会話しているのを見掛けたことがある。茶に髪を染めた息子と話していたのは、これまた金髪の青年で、感じの悪そうな奴だったと記憶している。
彼の口数が減ったのは、確か、私が妻と離婚した一昨年以降のことだ。離婚原因は、同性愛者の彼女が、私以外の人を好きになったと、告白したことにある。でも、まあ、妻のことがショックで私と会話しないだとか、そういうことでもないだろう。妻と息子が電話で連絡を取り合っているのは固定電話の着信履歴を見れば直ぐに分かる。無論、私だって今でも妻──そしてその相手の女性とも仲が良い。何故か息子は、私が妻と連絡するのを嫌がるのだけれど。離婚理由は伝えていないから、私が浮気したのだとでも思っているのかもしれない。
にしても、だ。
「あれは?」
テーブルを挟んで向こう側に座った息子に問い掛ける。鳥籠の中の卵を指差して、言う。しかし、彼は何のことだ、と眉根を寄せた。
「いや、あの、鳥籠の」
息子の視線が鳥籠に向かい、それから私に戻ってくる。だから何だ、と彼の瞳が物語っていた。それ以上は言い出せず、口を閉じる。
もしかしたら、である。もしかしたら、私の方がおかしいのではないだろうか。
実際は卵ではなく鳥だったら?
とうとう頭がおかしくなったのかもしれない。息子は精神障害を患っているわけではない。私とてそのつもりだ。だが、ここ数年の激務が祟って、幻覚でも見ているのではないだろうか。ここままいくと空を滲ませた鳥でも見つけるかもしれない、もしくは空に浮いた城か。窓外の木がまだ木であるから、ロッキーの如く逃げなくても大丈夫やもしれないけれど。
「いや。なんでもない」
珈琲と言葉を嚥下する。異様な光景を前に、日常的な業務を済ませる。
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