ring ring ring
薬指の感性
 桜はとっくに散った。もうすぐ梅雨がやって来て、蒸し暑い夏が来て、そうして何事もなかったように季節は巡る。
 5月の晴れた土曜日の朝、上野のとある美術館のそばで、わたしは人を待つ間、新緑の葉に覆われた桜並木を眺めていた。つい1か月前に薄桃色をまとってわたしたちの目を楽しませてくれた木々は、もう来春へ向けて準備を始めているのだろうか。
 待ち合わせの相手は、なかなか現れない。何かあったのかと心配になった頃、手に持っていたスマホが震えた。
 【今駅に着きました】
 待ち合わせ時間とっくに過ぎてるんですけど。と心の中で突っ込んでみるけれど、腹は立たない。イマドキの若い人ってこんなものなのかな、という程度。でも、そういう思考が働くということは、自分はもう若くないと認めているようなもので、そこは悔しかったりして。
 【はーい。慌てなくていいからね】
 わたしは返信をして、また景色に目をやった。清々しい緑に囲まれ、見上げれば空は青く、ここが東京の真ん中であることを忘れてしまうほどに心地よい。のんびりと散歩を楽しむ人を見ながら、待ちぼうけでも気候がいいと苦にならないな、なんてぼんやり思っていると、遠くからこちらに向かって全力で走って来る人の姿が目に入った。
 「あーあ……なんかもう必死すぎるわ」
 周囲のゆるやかに流れる時間とは明らかに異なる、運動会レベルの本気度は、遠くからでもはっきりわかる。そしてその人物が誰なのかも。まっしぐらにわたしの元へ駆けてくる細マッチョに手を振ると、向こうも走りながら振り返した。
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