ring ring ring
 忠信さんがその言葉を発した瞬間、氷のように冷たく鋭い静寂が部屋を襲った。わたしたちの間に、緊張が走る。忠信さんは、頬を引きつらせていた。
 「ママの、料理?でも忠信さん、実家は大分で、ご両親には滅多に会えないって……」
 わたしは婚約前に一度、そして婚約してからも一度、忠信さんの実家を訪ねている。大分の、由布院に近い静かな町にある大きな一軒家だった。忠信さんは大学進学をきっかけに東京へ出て来たと聞いているし、帰省するのは年に数回のはずだ。母親が東京に来たという話も聞いたことがない。それなのになぜ今、ママの手料理の話を?というか、それ以前に、“ママ”って。
 忠信さんは顔を青くして、わたしに背を向けた。そしてヒステリックに髪を掻きむしり、
 「うるさい!ママが、婚約指輪を外してしまうような女はやめなさいって言ったんだ!だからもう終わりだ!」
 と叫んだ。
 わたしの目に映っているのは、普段の、落ち着きのある大人な雰囲気を漂わせている彼氏の背中ではなかった。
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