月夜のメティエ
 せっかく両親が買ってくれたピアノだった。中古だったけど。古いわが家からは音がダダ漏れだったけど。もうちょっと真面目にやってれば良かったな。辞めないで続けていれば良かったな。そうしたら、もっと……。

「ドビュッシーの月の光、あれも好き」

「また弾いてあげるよ。ドビュッシーは俺も好き」

 静かに鳴り出すピアノ。揺れる第一音楽室の空気。あたしが好きなドビュッシー。
 振り向いた時に見た奏真の横顔。白と黒の鍵盤に踊る指先。分かったんだ。それをずっと見ていたらきっと、心臓とか口から出るんじゃないだろうかって。だから窓の外ばかり見ていたんだ。


 あの時は音楽室。あたしがいま居るのは灰色のビル。


「相田さん、会議資料配ってくれる? そろそろ時間だから」

 部長にそう言われ、セットしていた資料を書く役員の席に配置する。あと10分もすればみんな集まってくるだろう。

 ここのビルから見える景色を、14歳の心と目で見たら、どう思うんだろう。高層ビルと灰色の地面。自分が居るこの階だって、空に近付いてる筈なんだけど。

 もうすぐ、午後の会議の時間だ。

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