月夜のメティエ
「支店の、合ってないってよ相田さん! 朝いちで連絡あったよ」

「えっ」

 フロアに入るなり、挨拶よりも先に遠坂部長の声が飛んできた。昨日午後、作成していた書類のことだとすぐ分かった。合ってないって、ちゃんと確認したんだけど……。

「確認したのか? 例えしてても合ってなければ確認したことにならないんだよ」

 遠坂部長の手にはFAX。本店から来たものだろう。

「台帳持ってきて確認しろ。客先に提出するやつだぞちゃんとやれ。カズヨちゃん見てやって」

「……すみません」

 なんであたしって何かひとつ足りないんだろう。やればできると思ってても、ミスが出てまわりに迷惑かけてる。遠坂部長が怒るのも無理はない。

「落ち込んでる場合じゃない。女の子はさ、泣いたりキレたりすれば良いと思ってるんだよ。守る物が無いからな。軽く仕事辞められる。男はそうはいかないんだよ。目の前で部下の女の子泣かせたって、やるべきことはやらないといけないんだからな」

 ドラマの長台詞みたいなことを一気に言って、遠坂部長はどこかへ電話をかけ始めた。あたしは一礼して自分のデスクへ戻る。修正かけなくちゃ。

「カズヨ先輩、すみません」

「……遠坂部長、言い過ぎだけど。あれ、あたし昔ベソかいて言われたことある」

「……」

「そうやって働いてきた人間なんでしょ。あたし達にだって守りたい物あるわよ。さ、やっちゃお」

 カズヨ先輩、怒ってる。こんなに険しい顔をした先輩はあまり見たことが無い。

「相田さん一通り修正かけたら、あたしチェック入れるから。縦計だけやっといて」

「はい。すぐやります」

 まるで何も出来ない新入社員の気分だ。本当の新入りくんは、今日もまたパソコンにかじりついている。でも、耳ではやり取りを聞いていたはずだ。
 パソコンを立ち上げ、計算機を叩く。

「独身で、女で、守るべき物が無いから仕事もおろそかだ」
 そう言われているようで、とても悔しかった。失敗は自分が悪い。そして腹立たしい。なんてダメなんだろう。役立たず。なんで出来ないのか。そう自分を責めると、青空に手が届かなくて胸が痛かったことを思い出して、鼻の奥がツンとした。

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