月夜のメティエ
「どうしたの?」
「んーほら、演奏しに行ってるバーとか、教えておこうかなって思って。同窓会、帰っちゃって教えられなかったから」

 ピアノ聞きに来てって言ったこと、覚えててくれたんだ。あの時は混乱していたし、本気じゃないと、社交辞令と受け取っていた自分が恥ずかしい。期待しない方が良いと思っていたから……。
 また、会えるんだ。会いに行って良いんだ。

「ありがと。行く行く。いつなんだろ?」

「一番近いところだとなー、えーと」

 奏真が教えてくれたバーは3軒、カフェは2軒。たまに友達や会社の人と行く飲み屋街だった。あと子供ピアノ教室にも週1で行ってるらしい。忙しそうだ。

「こんな近くに居たなんてね。不思議~」

 胸は高鳴っていたけど、普通を心がけた。1人で盛り上がっても仕方がない。

「そうだな~まさか再会できると思ってなかったし」

「あたしはね、楽しかったよ。あのイチオンでの思い出」

 電話だと、顔が見えないから喋れるのだろうか。素直にそう言えた。本心だったから。

「ガキンチョの待ち合わせだったけどな。俺も……」

 お互い大人だ。しかも奏真は結婚する予定の人が居る。昔の想いを暴走させてはいけないんだ。

「いい思い出だ」

 ほらね。奏真は懐かしい思い出としてくれている。あたしが出て行って、今の状況をかき回しては彼に迷惑がかかる。好きだったと、口に出してはいけない。
 好きだった? ううん。いまも好きなんだ。

「そうだね……」

 14歳の時に奏真を好きになって、26歳で再会して、大人の奏真に恋をしている。

 電話の向こうでは、1人なのかな。彼女がそばに居るの? 唇を噛みたくなる。
 今週と来週の演奏日を教えてもらって、奏真との電話を切った。

 ただの同級生なら良かったけど、奏真には結婚の約束をしている人が居る。ちょっとだけある罪悪感は、そこから来ている。
 さっき開けた2本目の缶ビールを掴む。ぐっと半分ほど一気に飲む。喉がビリビリした。
 ボリュームを低くしたテレビはバラエティ番組を映していて、興味のある番組じゃなかったけど、耳が寂しくなりそうだったから消さないでいた。

 それから週末までを会社と家の往復で忙しく過ごし、奏真が演奏するために通うピアノバーへ行く週末になった。

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