月夜のメティエ
「ここ入ってくる時、隣のお店の方に声かけられました。うちにも来てね~って」

「イケメンの長袖みたいなタトゥーの人?」

「あ、そうです」

 奏真に聞かれた。ちらっと見えただけだけど。そういえばそうだった。たしかにイケメンだったし。

「同じビルに居るしね~会ったのねぇ」

 壱路ママがおしぼりで手を拭きながら行った。

「俺は顔見知りなだけだけど、ママが知り合いだからね。あの人はね、ゲイ」

「え」

 奏真がそう言って「ビールおかわり」とグラスを壱路ママに差し出した。

「別に変な人じゃないわよぉ~イケメンだし」

 そういうことじゃない気がするけど。

 あの人がゲイ……どうなってんのここ。目の前のメガネの男性がオカマ。知らない世界が広がっている。なんだか喉が乾いてきてしまって、ビールをぐっと飲んだ。美味しい。


「帰りどうすんの?」

 もう1つ出されたナッツに手を伸ばす奏真。その指先はさっきまで鍵盤を叩いていた。

「んー電車で帰るよ」

「明日は休み?」

「うん。うち週休2日制だから」

 あたし達がこうやって話している間に、合計4人ほどの入店があった。そうだった今日は金曜日だし、2軒目でこういう感じのお店に来るんだろうな。少し混んできたかもしれない。

「じゃあちょっと飲んで行きなよ。つきあって」

 ちょっとびっくりした。奏真、けっこうお酒飲むのかな。

「ああ……まぁ、明日休みだからあたしは大丈夫だけど」

 適当に理由付けて断ってしまえばいいかな、とも思ってる。行って良いのか、帰った方が良いのか。奏真がおかわりしたビールが置かれる。

「俺は演奏終わったし。場所変えても良いし」

「なによぉ奏真くん、うちで飲んで行けばいいじゃない」

「だって俺、焼き鳥食べたいんだもん。ママんとこ焼き鳥無いじゃん」

 あるわけない。焼き鳥かぁ。

「あたしも、焼き鳥食べたいって思ってた」

「おっし、じゃあ行こう」

 その言葉の後に、いま来たばかりのビールをぐいぐいと飲んで「行こう」と席を立った。

「あっちょっと待って」

 くつろいでしまっていたから、コートとか着るのにもたもたする。メイク直しもできないまま、出口へ向かう奏真の後を追う。

「奏真くん~さっきの話、考えといてね」

 出口まで見送りに来てくれた壱路ママがそう声をかけた。

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