月夜のメティエ
 ベートーベンの「月光」は重苦しいイメージ。でも月の光で浮かび上がる情景はひとつじゃなくて、その時の気分で変わると思う。
 あたしのピアノは中途半端で終わってしまったけれど、この人はずっとやってるんだろうな。将来はピアニストとか、音楽の先生とか。音楽関係の道に進むんだろうな。
 心に染みてくる音色。弦をポーンと叩く音。力強く、そして優しく。10本の人間の指が鍵盤の上で踊っているんだろうな……。

 バタンッ!

「うはあ!」

 物音にびっくりして振り向くと、第一音楽室の古い引き戸が外れていた。

「また外れた……ちくしょう」

 男の子の声。しまった。見つかった。聞いてたのバレた? またしても終わったことに気付かないでしまった……。
 音楽室の出入口を背にして、窓から校舎の裏手のグラウンドを見ていた。放課後で、みんな帰ってるし、ピアノの音色にうっとりして、外を眺めながら。物思いに耽っていた。演奏が終わったのを気付かないで。あたしは振り向く。
 え、ちょっと。引き戸が外れてるし。そこから覗く顔。……え? ピアノを弾いてた「第一音楽室ピアノの主」は男だったのか!

「ちょっとごめん、手伝ってくんねー?」

 入口の前に居たもんで、すぐに見つけられて手招きされる。

「あ、ハイ……」

 た、立ち聞きしてたわけじゃないんです。ちょっとピアノの音が聞こえたからここに居ただけで……とか言いわけを考えていると「そっち持って」「はい、せーの」なんて指示が飛んでくる。第一音楽室の出入口はひとつで、木の引き戸。これが古くて、力を入れないと開かないし、あまり強くすると外れてしまう。

「よし、直った。まったくさー新しくして欲しいわ」

「そう……ね」

 学生鞄をひょいと肩にかけて、清潔そうな短髪の男子生徒。見たことあるような……。

「あ……隣のクラスの」

「2年? あ、そうなの?」

 丸い目をますます丸くして答えた彼は、そう、隣のクラスの男子だ。名前はよく知らないけど。小学校は一緒じゃない。他の小学校だったのかも。

「うん2組……あ、あたし、ピアノ聞こえてきたから、あの」

 誰もそんなことは聞いていない。なんだかさっき用意してた言葉がうまく言えなかった。言いわけにもなっていない。

「2組って前田と同じか。あいつうるさいよな」

 いつも教室でひとりギャーギャー騒いでいる前田と友達なのかな? ああでも、この状況でなにを喋っていいのか分からない。

「前田くん友達なんだ、えーと……」
< 5 / 131 >

この作品をシェア

pagetop