月夜のメティエ
「まぁね。それはそうとさ、相田はピアノ、もう全然? ちょっと習ってたんだよな」
あたしが一応ピアノ経験者だったということを、覚えているらしい。
「うん。もう忘れちゃったよ弾き方。ピアノに座ってもできないかも。猫ふんじゃったも弾けないんじゃない?」
ふふ、と笑った。本当にもう忘れた。ずっと触ってないもの。
「でも、相田は耳が良いから、きっとすぐ勘を取り戻すと思うんだけど」
「そうかなぁ」
耳が良い。これはあの頃イチオンでも言ってた。相田は耳が良いって。言ったことを覚えているのだろうか。奏真は何気なく言ったことかもしれないけど。
2人とも話に夢中で、焼き鳥盛り合わせは手付かずで冷めてしまっている。あたしはおもむろに、串から外しながら話を聞いた。堅くなってしまっている。
「同窓会の時に言ったと思うけど忘れてるだろ。俺、子供の音楽教室でピアノ講師もやってるんだ。良かったらうちで1回やってみれば?」
そんなことを言っていたようなそうでないような。完全に忘れている。でも、そんなところに呼ばれてるなぁ……。
「ええ、子供達の邪魔になるし笑われちゃう。ていうか、講師もやってるなんてすごいね。大忙し」
「そうだな。ありがたいことです。音楽教室が一番長いよ」
なんて突拍子もないことを言うんだ彼は。遊んでるな。
「レッスン無い時とか、終わったあととか。遊びに来るつもりでさ、ちょっとやってみようぜ」
「そうかなぁ、でも懐かしいかも」
「意外とハマるかもよ」
ピアノかぁ。ちょっと興味はある。適当にやってたレッスンだったけど、あの頃と今とじゃ気持ちも違うと思う。
「楽しいよねきっと」
「大人になってからの習いごとも良いもんだよ。結構たくさん居るからね、そういう人達。20代の女の人も来るよ。自分磨きにいいじゃん」
「磨きすぎて妖刀にならないようにするね」
「おもしれぇ」
ケラケラと奏真は笑った。