月夜のメティエ
 冬の夜空は星が綺麗だ。それは子供の頃から知っていたけど、大人になった今でも分かる。「忙しいとは心を無くすと書く」とはよく言ったもので、そんな時は星を眺めていたくなる。今日は、月の無い夜空だ。寒い夜空に星が張り付いている。

「14歳の俺と、今の俺は……相田にはどう映ってる?」

「……どう……って?」

 質問の意味が分からない。彼の息は白くて、あたし達の横を人がすり抜けている。2人の間は肩が触れるくらい。あちこちから鳴る音楽と人の話し声が邪魔して、少し耳を寄せないとお互いの声が聞き取れない。

「今日、弾いてたら相田が来たのが見えたから、ドビュッシーを弾いたんだ」

 奏真の声が、あたしから冷静さを奪う。心臓がバクンと鳴った。
 泥酔してるわけじゃなさそう。でも少し鼻と目が赤い。切れ長の目は、14歳の時より男らしくなっていた。あたしを見ている。

「月の、光……?」

「好きだったもんな、ドビュッシー」

 あたしの口はきっと半開きのままだと思う。

「お……覚えてたんだ」

 そうあたしが返事をすると、奏真が寒そうに首を縮めて、目を逸らした。
 好きだよドビュッシー。いや、その前。あたしが来たのが見えたから「月の光」を弾いた。ドビュッシーの。いま、そう言ったよね……。

「あの、奏真くん」

「ごめん、飲み過ぎた。いまの忘れて」

 一度目を合わせて、そしてまたあたしから目を逸らす。なんで、こっち見て欲しいよ。

「気をつけて帰って。俺、こっち行くから」

 駅と反対の方角を指さす奏真の指。頭の中では、さっき数時間前に彼が弾いていた「月の光」が流れている。

「うん、奏真くんも気をつけて……」

 手を振り、行ってしまった。人混みに隠れる背中。目を離したくなくてずっと目で追ってた。

「なんで……」

 なんで、そんなこと言うの? 覚えてるよ、あの頃のことは全部。忘れるわけない。奏真が居なくなった時から、どうしたって思い出してしまう。だって目の前に居なかったんだもの。365日のうち、その想いはあたしを捕らえて離さない。

 終電がある。余裕を持って別れたけれど、もたもたする足はまるで濡れてるみたいに重くて前に進まなかった。溢れる涙で濡れてるみたいに。

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