月夜のメティエ
 初対面の時、人間の脳はフル回転しつつ空回りしているんだと思う。脇汗が半端無いです。

「あー俺、はやし。はやし、そうま」

「ぞーま?」

「そーま! ゾーマってドラクエか」

 はやし……そうま。名前を反芻する。そして、まだ自分が名乗っていないことに気付く。

「あ、あたしアイダ……相田 朱理」

 しゅり、と呟いて斜め上に視線を送る奏真。思い浮かべてるのはきっと漢字だと思う。

「えっと」

 あたしは第一音楽室に入って、五線譜黒板にチョークで「相田 朱理」と書いた。すると、それをじっと見てた奏真が「貸して」とあたしの手からチョークを取って、黒板に書く。

「林 奏真。よろしく。朱理ちゃん」

「あ、お……よろしく……」

 朱理ちゃんだって。ちょっと軽いなぁ。林 奏真。黒板に書かれたその名前。真を奏でる……か。

「鍵かけるけど。使うの?」

 奏真が下を指さし「ココ」とジェスチャーをする。「あ、ううん」あたしは首を振る。

「ピ、ピアノが聞こえたから……聞いてただけで……」

「盗み聞きか」

「人聞き悪い~。まぁ盗み聞きだけど」

 そうあたしが言うと、ふふっと奏真が笑った。

「校舎の端だし、聞こえないし誰も気付かないよな」

 その通り。誰も知らなかったしね。あたし以外。

「イチオンからピアノが聞こえるって言ったら「ベートーベンの肖像画が弾いてるんじゃないか」って学園ホラーな話になるところだったよ」

「あっはは」

 校舎の端だとは言え、陽当たりは良い。冬の時期なんか暖かい光が差し込んで、午後の音楽なんて睡魔と戦うのが大変だった記憶がある。あまり使われてないから、ここに来る機会も減ったけど。

「上手いね、ピアノ。時々聞こえてたから」

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