月夜のメティエ
 西日が薄く入ってくる音楽室。確かにベートーベンやシューベルトの肖像画が飾ってあるけど、ピアノを弾いていたのはベートーベンじゃなかった。

「先生がピアノ使って良いって言うから。たまにね」

「そうなんだ。どこかで習ってるの? すごい上手い」

 第一音楽室にあるピアノはグランドピアノだ。奏真は黒板を離れると、ピアノへ近付く。音楽室は、後ろの方に乱雑に教材やらプリントが山積みになっていて、整頓されているとは言えない。でも、奏真が手を置いたピアノだけは磨かれていた。

「んー習ってるっていうか、いまちょっと個人レッスン。教室通ってたんだけど、ちょっと別なところでも面倒見て貰ってて」

「へぇ。なんか複雑ね」

「そう、複雑なんだよ」

 はっきりしない返事だな。個人レッスンか。才能あるんだろうなきっと。ピアノ教室の先生が自分の恩師に任せるなんて……。

「あたしも、ちょっとピアノやってた」

「そーなの? 明日……明後日金曜日だからここ来るけど、相田も来いよ」

 突然そんなことを言われ、驚いてしまう。

「え、でも練習の邪魔でしょ? あたし、弾けるって言っても下手くそだし……もう辞めてるし」

 廊下で聞いてるっていう、盗み聞きがちょうど良かったんだけどな……。

「いいじゃん。ひとりでつまんないんだよ。聞いて、感想くれよ」

 真っ直ぐ見てそう言われ、声が出ない。本当に真っ直ぐな目。ピアノ線みたいな、真っ直ぐにピンと張った視線。浅く焼けた肌と短い黒髪はとても合っている。快活そうな中学生。その印象が強い。ピアノが弾ける様に見えない……って言ったら怒るだろうか。背はまだあたしと同じぐらい。きっともっと高くなるんだろう。

「ちょうど良かった。ピアノがある程度弾けて、聞いてくれるヤツ探してたんだ」

「……ええ」

「決まり。金曜の放課後、俺ここに居るから」

 薄汚れた遮音のカーテンと壁。後ろの方のがらくた。その音楽室で、奏真はあたしを見てにっこり笑った。

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