月夜のメティエ
「なんで教えてくれなかったの。別に良いけど。教えてくれなくても良いけど! あたし部外者だから。転校の時もそう。黙って居なくなって……」

 黙れ、相田 朱理。

「あのピアノは、あたしをずっと縛ったまま」

 この口よ永遠に閉じろ。

「そ、奏真のことずっと好きだ……ったんだか、ら!」

 声を、失え。


「……あ……」

 なんでこのタイミングで、あたし。ずるい。奏真が困る。最低の女だ。しかも呼び捨て。
 言ってから、しまった、と思う。

「ご、ごめん、なんでもない。早く、美帆ちゃんのところに……」

「待てよ」

 掴まれた腕にまた力が入った。お願いだから、離して。だめだ。あたし最低だ。

「なんでもない! いまの嘘だから! 聞かなかったことにして」

「なに言ってんだよ」

 だめ、もう嫌だ。こっち見ないで。

「犬の遠吠えだと思って聞き流して!」

「ずるいぞ! 自分のことばっかりで相田」

 そうよ、その通りだ。あたし自分のことばかり。言ってはいけない、言わないつもりだったことを言ってしまった。爆弾発言だ。告白してしまった。この最低の状況で、最低の行為。そして呼び捨て。消えて無くなりたい。

「にんしん……してるとか、転校とか、結婚とか……奏真くんのことばっかりで、あたし、もう自分が」

 追い打ちをかけるように、あたしの目からは止められない涙が溢れた。
 もう……なんてずるいクソ女。体だけ大人で、中身は成長していない。

 通路は寒い。涙はすぐに冷えて頬を伝う。奏真の顔も涙で歪んでしまった。人が来るかもしれない。あそこのロックのお店のドアがまた開くかもしれない。「ICHIRO」かも。誰かに見られるかもしれない。あたしは涙をぐいっと拭って、地上へ出る階段の方を向いた。

 次の瞬間、天井が見えたのは、奏真があたしを乱暴に抱きしめたから。

「泣くなよ。なんだよこの間から。相田こそ自己中だろ」

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