月夜のメティエ
 少しの沈黙。食器音と人の話し声。いつもならなんとなく聞いているこの音も、大きく聞こえて胸をざわざわさせる。
 ああもう穴があったら入りたい。消え去りたい。こんな風にして2人、話をすることになるなんて。しかも楽しい話じゃない。

 最初に口を開いたのは美帆ちゃんだった。

「その表情を見る限り、急にあたしから連絡があった理由、分かってそう」

 隣の席のカップルがちょうど帰ったところだった。静かな声で美帆ちゃんがそう言う。

「たぶん……分かってる」

 顔を上げられない。そういえば、メイク直しもしないで来てしまった。汚い顔をしていないだろうか。ちゃんとしてくれば良かった。彼女はとても綺麗な女性だから。自分がすごくみすぼらしく思えて、肩を縮めてしまう。

「……この間、結婚はできないって言われた」

「……」

 店内は、お互いの声が聞こえないほど騒がしくはない。あたしに一直線に飛んでくる美帆ちゃんの声。背中に、冷たい氷を入れられたみたい。あたしのカップからは湯気が出ている。

「奏真に」

 視線が合った。奏真に。脳内でもう一度再生される名前。あたしは、なんて言えば良い? 美帆ちゃんは、なにを知っている?

「なんでなのって、問いただしたら、朱理ちゃんの名前を出されて」

「……あの……」

 背中の氷は、そのまま皮膚を凍らせてるみたいだ。あたしは視線を逸らして、うつむく。どんな顔をしていれば良いのか分からない。平気な顔をして話せるわけがない。

「同窓会から、そこから2人で会ってたんだね。知らなかった」

「あの、内緒にしてたわけじゃ……」

「最初はそういうつもり無かったってことね。奏真も言ってたけど」

 何を言ってもあたしの言葉は空中にしか行かない。奏真は何を喋ったのか。あたしのことを、2人のことを、どういう風に。

「どこまで知ってる? あたし達のこと」

 そう言ったのは美帆ちゃん。あたしが思っていたことだった。答えに困ってしまう。

「け、結婚予定があるって……相手が美帆ちゃんだって知ったのは最近で」

「あとは?」

「……妊娠してるって」

 その時、彼女の顔を見ると、悲しそうにあたしを見ていた。泣くんだろうか。胸が苦しい。

「あとは?」

「あとは……入籍の予定はまだ決まってないけど、って……それだけ……」

 それだけもクソも無い。それでじゅうぶんだ。

「そう……」


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