月夜のメティエ
 角を曲がった時だった。音が聞こえる。外から? 校内放送? いや違う……。

「ピアノ……」

 聞こえる。ピアノの音が聞こえる。すぐそこはイチオンだ。このあたりはきっと生徒が掃除してるはずなのに、埃っぽいのはなぜ。

 聞こえる。「月の光」だ。ドビュッシーの。滑らかで胸を震わす、そんな音。

「……」

 走ってあがった息を、深呼吸して整えた。
 鮮明に思い出す。寄りかかった廊下の壁。窓から見える景色。

 こうして、奏真のピアノを聞いていた頃。知り合って仲良くなって、イチオンの中で過ごした放課後。あたしは鮮明に覚えている。埃っぽい床とカーテン。それでもピアノだけはピカピカで。きっと奏真が拭き掃除していたんだと思う。

 白黒の鍵盤の上で踊る指と、奏真の横顔。少年は青年になって、優しい眼差しは変わってなくて。あたしは……。


 ガタン!!

「……!」

 突然の大きな音に驚いて、振り向く。

「もー……なんだよ~直せよいい加減……」

 声が聞こえた。思い出に耽っている間に、いつの間にか演奏は終わっていたらしい。
入口の戸が外れている。またか。
 どうしよう。人が出てくる。会ってしまう。会いに来たの? だからここに来たんでしょう……? あたしは何をやってるんだ。

「そ……」
「あ……」

 外れた戸から顔を出した人物と目が合う。久しぶりに見る顔。大人の男性の顔。制服じゃなくて、あの、日に焼けた快活そうな少年じゃなくて。今の、奏真だ。

「相田」

「あ、お……あけましておめでとう」

「あけましておめで……」

 2人の挨拶がかぶった。何やってんの。

「なんで居るんだ」

「あの……校長先生と会って、奏真が」

 外れた戸に手をかけたままで、奏真があたしを見ている。少し険しい表情だ。


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