縛鎖−bakusa−
彼女の中で息子を失ったトンネル崩落事故は、まだ過去の物になってはいなかった。
自分だけ命を取り留め、自ら運転する車の中で最愛の息子を死なせた。
その事実が今でも彼女を深く傷付けているのだ。
あの事故から12年が経過しているが、
今まで一度もこのトンネルに手を合わせに来なかったのは、
来たくないからではなく、苦し過ぎて来れなかったからだと感じた。
彼女は震えながら入口の3メートル手前で立ち止まり、恐る恐るトンネルを見た。
亮介君は必死に存在を知らせ様としているが、
母親はぽっかり開いた薄暗い空間に涙するだけだ。
彼女は何も言わない。
引き結んだ唇をふるふると震わせ、懸命に気持ちを保とうとしている。
取れない鎖にもがき母親を呼び続ける亮介君。
見えない息子の魂に触れる事なく、彼女は鳥居の横に花束を置いた。
缶ジュースの蓋を開け供えて数秒手を合わせると、
苦しさから逃げる様に走り去ってしまった。