ラベンダーと星空の約束
消毒液の匂いの漂う外来待合室にいると、長い闘病生活を嫌でも思い出す。
幼い子供の頃の息苦しさを、俺の脳はいつまでも記憶し続けていて、
病院独特のこの匂いを嗅ぐだけで、条件反射的に苦しさが微かに再現される。
そして苦しさと共に思い返すのは、死んで行った龍之介さんの、穏やかで優しい顔。
『君は君の人生を精一杯に生きて…』
そう言って、苦しい息の中で俺の退院を喜んでくれた、龍さんの笑顔が脳裏に浮かぶ。
龍さんが貰う筈だったこの心臓が、たちまち鼓動を速めて行く。
天国の龍さんは、今の俺の生き方をどう思って見ているだろうか……
もう逃げてはいない。
今はこの心臓と、自分自身と向き合い生きている。
龍さん…
俺なりに、自分に正直に精一杯生きてるつもりだけど…
これでいいと思いますか?
心電図を取り終えた後、診察室前の長椅子に座り、呼ばれるのをじっと待つ。
この待ち時間にいつもこうやって、心の中で龍さんに語り掛けている。
龍さんに語り掛けながら、今の自分の生について考え、いつか訪れる死について考える。
死について考えると言っても、それを恐れたり悲観している訳じゃない。
定期検査の結果を不安に思い、
「悪い結果ではありませんように」
と龍さんに祈っている訳でもない。
生死について幼い頃から考え続けてきた俺は、いつ主治医からその言葉を告げられても、動じない自信はあった。
だから…
夏休みの少し前の定期受診で言われた、
「精密検査をしよう」との言葉を、ただ静かに受け止めた。
そして、夏休み直前に半日掛けて精密検査をした結果……
この心臓に小さな綻(ホコロ)びが見つかった。
幸いな事に、今すぐどうこうなる異常じゃなかった。
今は胸苦も息苦しさもないし、目眩もチアノーゼも、自覚症状は何一つない。
主治医は
『大丈夫だ』と言った。
『恐らく10年は大丈夫だろう』
と言った。
そして…
『10年を経過して然(シカ)るべき時に、再移植が必要になる事を覚悟しておいて』
重たい口を開き、残念そうに俺に告げた。