結婚の覚悟(男性主人公短編)
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そう約束したのに。
その日はほぼ無言のまま帰ってしまったし、その夜もメールの返信をくれなかった。
なんとか翌日の夕方まで待って、俺はゆかりのアパートの前の道で待ち伏せをした。
残業しないといけない書類がまだ残っていたが、明日の早出で間に合せばいいなど会社も若干気になりながら、待つこと一時間半。
「…………、」
ゆかりは俺を見つけるなり無言で立ち止まった。
「会いたくて」
俺は考えていた一言を発した。
予想通りゆかりは、バツが悪そうに下を向く。
「一日中ゆかりのことを考えてた」
俺は正直に話ながら、大股でゆかりに近づき、その手を取る。
「ゆかり、結婚をしよう」
ポケットの中をまさぐり当て、エンジ色のジュエリーケースを出すと、小さな掌に乗せた。
「結婚指輪。してほしい。ゴメン、サイズは分からなかったから合わないかもしれないけど、後で直せるから」
「…………」
ゆかりはパチパチ目を見開きながらケースの中を確認すると、見るなり片手を口に当てた。
「昼休みに買って来た。給料三カ月分なんて最近流行らないって同僚に言われたけど、そのくらいじゃないと誠意が見せられないと思って」
さりげなく、値段をアピールしておく。
なのにゆかりは。
指輪を見ても、値段を聞いても、本当に嬉しそうじゃなく。笑いかけても、
「…………」
無言でケースを閉めるだけで。
「……デザインが気に入らなかった?」
精一杯配慮して聞いた。
「昨日私、ショックだった」
地面を見つめたまま、まるで地面のように冷たい顔をしたまま、ゆかりは続けた。
「私昨日産婦人科行ったんだよ?」
「えっ!? デキてた!?」
歓喜に思いあまって俺はその肩を掴んだが、
「デキたら困るでしょ!? 何で私のこと考えてくれないのよ! 何で突然そうなるのよ!」
「…………」
「今まで付き合ってきて、良かったと思うよ? 優しいし嫌なことなんて特になかったし。でも、結婚したいから中でってそれは話違うくない? 私も別にこのまま続けば結婚してもいいかもとか思ってた時もあるけど、でもできちゃった婚なんて絶対嫌だし」
「あ……」
そんな、そんな下らないことを気にしていたのかと、頭が真っ白になる。
「仕事だってもう少し続けてから産休取りたいからあと二年くらいは子供いらないし。その間の二年のうちにやりたいこともあるし、やらなきゃいけないこともあるし、そんな順序とか段取りとかができてないと全然うまくいかないじゃん? あなただって今は優しいけど、不満に思うことも出てくるよ、絶対」
「いや……」
俺はお前がいればなんだっていいと思ってるのに。
「結婚指輪は嬉しいけど。でも今は素直に受け取る気にはなれない。ゴメン私、今ピル飲んでちょっと熱あるし」
「えっ!?」
慌てて額に手を当ててみた。確かに、少し温かい。けど、
「ピル……」
「昨日貰ったんだよ。……本当は病院にもついて来て欲しかった」
「え……」
ええ!?!?
ピ……
「ピル……」
「体温上げて精子殺すんだって。だから熱あるの。もう帰るね。ダルイから。はい」
手渡されたジュエリーケースが、信じられないほど重くて。
「…………」
「…………」
ゆかりは、淡々アパートへ入って行く。
何度か訪れ、そこで身体を重ね合わせたあの部屋へ。
「え……」
状況が飲めず、受け入れられず、俺はただそこに立ち尽くした。
そんな馬鹿な。
何でそんな。
……お前ふざけてんのかよ!
俺はお前を一生かけて幸せにしてやるって誓ったんだよ!
何がやりたいことだ、仕事なんて別に辞めればいいだろーが!!
俺のために、家でいればいーだろーが!!
子供といればいーだろーが!!
……俺のために生きればいいだろうが。
俺のために、ただそこに居ればいいだろうが。
俺がお前に人生を捧げてここにいるように。
なのに何でお前はそれを嫌がるんだよ。
何でお前は、結婚の覚悟もできねーんだよ。
そう約束したのに。
その日はほぼ無言のまま帰ってしまったし、その夜もメールの返信をくれなかった。
なんとか翌日の夕方まで待って、俺はゆかりのアパートの前の道で待ち伏せをした。
残業しないといけない書類がまだ残っていたが、明日の早出で間に合せばいいなど会社も若干気になりながら、待つこと一時間半。
「…………、」
ゆかりは俺を見つけるなり無言で立ち止まった。
「会いたくて」
俺は考えていた一言を発した。
予想通りゆかりは、バツが悪そうに下を向く。
「一日中ゆかりのことを考えてた」
俺は正直に話ながら、大股でゆかりに近づき、その手を取る。
「ゆかり、結婚をしよう」
ポケットの中をまさぐり当て、エンジ色のジュエリーケースを出すと、小さな掌に乗せた。
「結婚指輪。してほしい。ゴメン、サイズは分からなかったから合わないかもしれないけど、後で直せるから」
「…………」
ゆかりはパチパチ目を見開きながらケースの中を確認すると、見るなり片手を口に当てた。
「昼休みに買って来た。給料三カ月分なんて最近流行らないって同僚に言われたけど、そのくらいじゃないと誠意が見せられないと思って」
さりげなく、値段をアピールしておく。
なのにゆかりは。
指輪を見ても、値段を聞いても、本当に嬉しそうじゃなく。笑いかけても、
「…………」
無言でケースを閉めるだけで。
「……デザインが気に入らなかった?」
精一杯配慮して聞いた。
「昨日私、ショックだった」
地面を見つめたまま、まるで地面のように冷たい顔をしたまま、ゆかりは続けた。
「私昨日産婦人科行ったんだよ?」
「えっ!? デキてた!?」
歓喜に思いあまって俺はその肩を掴んだが、
「デキたら困るでしょ!? 何で私のこと考えてくれないのよ! 何で突然そうなるのよ!」
「…………」
「今まで付き合ってきて、良かったと思うよ? 優しいし嫌なことなんて特になかったし。でも、結婚したいから中でってそれは話違うくない? 私も別にこのまま続けば結婚してもいいかもとか思ってた時もあるけど、でもできちゃった婚なんて絶対嫌だし」
「あ……」
そんな、そんな下らないことを気にしていたのかと、頭が真っ白になる。
「仕事だってもう少し続けてから産休取りたいからあと二年くらいは子供いらないし。その間の二年のうちにやりたいこともあるし、やらなきゃいけないこともあるし、そんな順序とか段取りとかができてないと全然うまくいかないじゃん? あなただって今は優しいけど、不満に思うことも出てくるよ、絶対」
「いや……」
俺はお前がいればなんだっていいと思ってるのに。
「結婚指輪は嬉しいけど。でも今は素直に受け取る気にはなれない。ゴメン私、今ピル飲んでちょっと熱あるし」
「えっ!?」
慌てて額に手を当ててみた。確かに、少し温かい。けど、
「ピル……」
「昨日貰ったんだよ。……本当は病院にもついて来て欲しかった」
「え……」
ええ!?!?
ピ……
「ピル……」
「体温上げて精子殺すんだって。だから熱あるの。もう帰るね。ダルイから。はい」
手渡されたジュエリーケースが、信じられないほど重くて。
「…………」
「…………」
ゆかりは、淡々アパートへ入って行く。
何度か訪れ、そこで身体を重ね合わせたあの部屋へ。
「え……」
状況が飲めず、受け入れられず、俺はただそこに立ち尽くした。
そんな馬鹿な。
何でそんな。
……お前ふざけてんのかよ!
俺はお前を一生かけて幸せにしてやるって誓ったんだよ!
何がやりたいことだ、仕事なんて別に辞めればいいだろーが!!
俺のために、家でいればいーだろーが!!
子供といればいーだろーが!!
……俺のために生きればいいだろうが。
俺のために、ただそこに居ればいいだろうが。
俺がお前に人生を捧げてここにいるように。
なのに何でお前はそれを嫌がるんだよ。
何でお前は、結婚の覚悟もできねーんだよ。