隣の部屋のナポレオンー学生・春verー
しかしその時、がちゃりと返事もなくドアが開かれた。
「“我が輩”になにか用か?」
隣人の方は、ずいとあたしの前に歩み出た。
我が輩、って……いつの時代の人?
それとも厨二病か?
出てきた隣人の方は、見上げるような長身だった。
瞳は黒だったが、外側が青っぽい。
髪は茶髪にも見える。
しかし夕暮れの日差しを浴びると、鮮明な赤毛になった。
天然パーマなのか、髪の毛は不規則にうねっている。
彼は耳を隠すくらいの長めの髪を、額の真ん中で分けていた。
色白かつ細面で、なかなか整った男だ。
けれど、やはり“我が輩”という一人称が気にかかる。
「……見ん顔だな。
もしや、ここの隣に越してきたという者か?」
彼の推測はぴったりと当たっている。
が、その古臭くて上から言うような語調に、あたしは違和感を覚えずにはいられない。
「あ、はい」
なんか変な人の隣人になっちゃったなあ。
そう思うものの、もちろんのこと言葉にはしない。
「一昨日、隣に引っ越してきました。
曽根 緋奈子といいます。
あの、これ……」
あたしはそっとミカンが入った段ボールを渡す。
すると彼はそれをまじまじと見つめて、
「なんだこれは」
と唸った。
……いや、「なんだ」って。
ミカンじゃん。
どう見たってミカンでしょ。
算数の問題でリンゴとセットで出てくる果物だよ。
「……ミカンが沢山あるので、それをおすそわけに」
「ああ、それはかたじけない」
彼は段ボールを受け取ると、さっさと部屋に戻って行った。
部屋の中には、テレビも置かれてはいなかった。
敷布団が敷かれ、四角いテーブルがちょこんと隅に置かれているだけ。
簡素にもほどがあるくらい、なにもない部屋だった。
そして……裸と想定される男もいない。
「いい香りのする果物だな」
ミカンだから柑橘系の甘い香りがするのは当然なのに、彼の物言いは、まるでそのことについて無知であるようだった。
「それは、どうも……」
「申し遅れたな。我が輩の仮の本名は、
御堂 暁(みどう あきら)だ」
相変わらず妙な一人称が引っかかるが、名前は普通の人だ。
けど……。
“仮の本名”って、どういうこと?