隣の部屋のナポレオンー学生・春verー
1821年5月5日ーーー。
セントヘレナ島で長らく軟禁生活を送っていたナポレオンは、ヒ素中毒か過労死かで、ひとり寂しい死を遂げた。
ナポレオンはぼろぼろの体が朽ち果ててゆくのを感じながら、ひっそりと瞼を閉じたのだという。
そして眠りについた。
野戦にて馬上で眠りをとった時のような、軽い眠りについた感覚だったらしい。
そして目が覚めると、白衣をまとった男、つまり医者と看護婦が自分を見下ろしていたのだという。
『目覚めたかね、御堂くん』
医者は安堵した顔で言ったらしい。
なんだこいつは。
ナポレオンは奇妙に思って、
『誰だお前は』
と率直に訊いたらしい。
『私は医者だよ、御堂くん。
君はバスの事故にあって、今まで意識不明の重体だったんだ。
……覚えているかい?』
覚えているもなにも、自分はセントヘレナ島で軟禁状態にあって、もう寝たきりの状態で寝転がっていたのだ。
事故になどあっていない。
加えて、医者の上からいうような言葉が気に食わなかった。
寝たきりとはいえ、一時は英雄と言われたナポレオンだ。
貧相な顔をした男などに、上からものを言われたくない。
『なにを言っている。
我が輩はナポレオン・ボナパルトだ。
知っておろう』
そう、ナポレオンは言ったらしい。
すると医者は機嫌を悪くするどころか、むしろ哀れむような優しい目つきになって、寝かされているナポレオンを見つめた。
『可哀想に……。
どうやら、記憶障害を起こしているようだ』
『そんな、なんてこと……』
医者も看護婦も、なにやら悲壮な面差しである。
みれば、2人ともナポレオンが知る国の人間では内容だった。
フランスもイギリスも、ほとんどが明るい髪色に、明るい目だ。
しかしここにいる者たちは、みな黒目に黒髪である。
しかも肌が黄色く、中背で鼻が低い。
そういえば東の方に住む人間たちは、たしかこんな容姿の者がほとんどだと聞かされた記憶がある。
もしかすると、東の国の者だろうか。