落雁

「…僕から逃げられない?」

するりと右手があたしの背中を撫でた。
素肌で感じるその感触があたしの思考力を低くさせる。

「…このまま弥刀ちゃんを襲う自信あるけど、どうする?」

あの女の言葉を思い出した。

夜だけの関係。

つまり、そう言うことだってのは分かる。

ぞくりとした。

司はあたしより年上な訳で、あたしより大人だ。それに、男だ。

「…や、」

怖くなった。

司はあたしの知らない世界を、あたしよりずっと知っている。
血生臭い世界を、あたしより歩いている。

「やだ、司」

甘い匂いで頭がおかしくなりそう。
上手く考えられないのが怖い。

長い指が、背中を撫でる。

この腕は動く??
この手から逃げられる??

あたしは何ができる??


「…不平等だ」

なんで、なんで。

「あたしは努力してる、人より強い」

なのに、

「なのになんで、…」

20キロの鉄は持ち上げられても、司の腕は振りほどけない。


「…なんで、あたしはあんたに負けるの」

司の腕が離れた。
両手首が解放される。

だけどあたしは動けないままだった。
体が固まっているみたいだ。


「それはね、弥刀ちゃんが女で、僕が男だからだよ」

司がゆっくりと、あたしの体を抱き起こす。

そうだ。答えは簡単だ。
いつだって世界は残酷だ。

あたしが女だから、司には勝てない。
簡単なことだ。

どんなに筋肉をつけて、どんなに体力があっても、元からそれを持っているこいつには敵わない。
一生、同じ距離だけ離れているんだ。追い付けない。

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