ミラ子の呟き。2014〜
で、折角なのでもう少し。
今年に入って早々、ショックな事がありました。
若かりし頃にとてもお世話になった先生がお亡くなりになったと。
年賀状でね知ったんですけど。
宛先不明で戻ってきてたの。その恩師に出した年賀状ね。
だけど、その宛先というのは先生のアトリエ兼住居であって本宅ではなかったので、引き払ったのかな?くらいに思ったんです。
そしたら、他の年賀状も一枚一枚確認してたらもう一人、とてもお世話になっていた恩師からの年賀状に小さく○○先生、昨年お亡くなりになったよと。書いてあって。
詳しいことはわからないとのことだったけど、その瞬間に涙が止まらなくて。
でね、アーティスト活動もされてたので何か情報ないかなとネットで調べまくったところ、どうやら、難病を患っていたとのことでした。
その先生に教わっていたのは機織りです。
とにかく緩い緩い緩い緩い(笑)先生で、心に強く残るような名言を貰ったわけでもないし、人生を変えられる程のエピソードもない。マジで(笑)
でもね、なんていうのか…
先生と過ごした時間というのはやはりかけがえないものでして。
今、振り返ってもどうでもいいような話の内容しか出てこない(笑)
だけど、どれもこれも覚えているんですよね。不思議と。
先生の滲み出てる優しい雰囲気。
柔らかいトーンで話すコテコテの関西弁。
うわ、駄目だ。
思い出したらまた泣きそう。
どうしてももう一度、会いたかったんです。
きっと会えると思ってたし。
3月くらいまで掛かったかな。先生が亡くなったんだっていう事実を受け入れれたのは。
受け入れれたんかな。
やっぱり、会いたかったな。
と、少ししんみりしましたが。
ここでもう一つ、サクッと。
ミラ子は昔、写真業界でお仕事をしていたことがあります。
で、その時に技術的なことを教わった上司がいて、なんとなく、
ほんっとになんとなく名前を検索してみたんです。
ネットってなんでもわかるよね。
直ぐにヒットしました。
個人情報バレするといけませんので名前は伏せますがめちゃ世界でも活躍するカメラマンになっていました。
独立されたんですけど、その後のことはあまり気にしてなかったんです(;´∀`)
色んな記事が出てきてめちゃ読みました。
中にはテレビでのインタビューとかもネットに上がってて。
基本、全く変わってなかったですね。
朝から晩まで写真の事ばかり考えていて空き時間とか私にモデルになれといい、バシバシ撮ってたなぁとか思い出しました。
ポージングせいとか言うてくるんですけど素人やん?
できるかいっ!
言えませんけどね。
見事に引きつった顔の私が写ってました(・・;)
いつか会えたらなと思う反面、「お前、写真辞めたんか」と言われるのも嫌だなぁとか思ったり。
基本的には物腰めちゃ柔らかいんですけど仕事となると鬼、ほんと、鬼上司(笑)
なので、SNSとかで直ぐに接触は出来るんですけど敢えて接触してないです(笑)
ただ、その上司の活躍ぶりを知り思ったのは、その上司は一日のほとんどをほんとにカメラの事しか考えてなくて、僅かな残りを愛娘と奥さんのことと古いアルファロメオ。
そんな感じなんです。
でね、ミラ子思ったんです。
カメラの道は辞めたけど、やっぱり私、書くことだけは続けてるなって。
書くことならその上司に胸張って言えるかも。
ほんなら、結果出せぃって秒で怒られそうだけど…(笑)
そもそも小説書いてること周りの誰も知らないですけどね(^_^;)
でもその上司の活躍ぶりには心を揺さぶられました。
感動。
カメラに向き合う姿勢に自然と熱いものが込み上げました。
自己満足、セルフ浄化システムだとしてもこれからも書くことは続けていきたいなぁ。
なんて、思った次第です。
とまぁ、何やかやで長くなりましたが最後までお付き合いくださりありがとうございました!
みなさんもお元気でーヽ(=´▽`=)ノ
ミラ子でした!
今年に入って早々、ショックな事がありました。
若かりし頃にとてもお世話になった先生がお亡くなりになったと。
年賀状でね知ったんですけど。
宛先不明で戻ってきてたの。その恩師に出した年賀状ね。
だけど、その宛先というのは先生のアトリエ兼住居であって本宅ではなかったので、引き払ったのかな?くらいに思ったんです。
そしたら、他の年賀状も一枚一枚確認してたらもう一人、とてもお世話になっていた恩師からの年賀状に小さく○○先生、昨年お亡くなりになったよと。書いてあって。
詳しいことはわからないとのことだったけど、その瞬間に涙が止まらなくて。
でね、アーティスト活動もされてたので何か情報ないかなとネットで調べまくったところ、どうやら、難病を患っていたとのことでした。
その先生に教わっていたのは機織りです。
とにかく緩い緩い緩い緩い(笑)先生で、心に強く残るような名言を貰ったわけでもないし、人生を変えられる程のエピソードもない。マジで(笑)
でもね、なんていうのか…
先生と過ごした時間というのはやはりかけがえないものでして。
今、振り返ってもどうでもいいような話の内容しか出てこない(笑)
だけど、どれもこれも覚えているんですよね。不思議と。
先生の滲み出てる優しい雰囲気。
柔らかいトーンで話すコテコテの関西弁。
うわ、駄目だ。
思い出したらまた泣きそう。
どうしてももう一度、会いたかったんです。
きっと会えると思ってたし。
3月くらいまで掛かったかな。先生が亡くなったんだっていう事実を受け入れれたのは。
受け入れれたんかな。
やっぱり、会いたかったな。
と、少ししんみりしましたが。
ここでもう一つ、サクッと。
ミラ子は昔、写真業界でお仕事をしていたことがあります。
で、その時に技術的なことを教わった上司がいて、なんとなく、
ほんっとになんとなく名前を検索してみたんです。
ネットってなんでもわかるよね。
直ぐにヒットしました。
個人情報バレするといけませんので名前は伏せますがめちゃ世界でも活躍するカメラマンになっていました。
独立されたんですけど、その後のことはあまり気にしてなかったんです(;´∀`)
色んな記事が出てきてめちゃ読みました。
中にはテレビでのインタビューとかもネットに上がってて。
基本、全く変わってなかったですね。
朝から晩まで写真の事ばかり考えていて空き時間とか私にモデルになれといい、バシバシ撮ってたなぁとか思い出しました。
ポージングせいとか言うてくるんですけど素人やん?
できるかいっ!
言えませんけどね。
見事に引きつった顔の私が写ってました(・・;)
いつか会えたらなと思う反面、「お前、写真辞めたんか」と言われるのも嫌だなぁとか思ったり。
基本的には物腰めちゃ柔らかいんですけど仕事となると鬼、ほんと、鬼上司(笑)
なので、SNSとかで直ぐに接触は出来るんですけど敢えて接触してないです(笑)
ただ、その上司の活躍ぶりを知り思ったのは、その上司は一日のほとんどをほんとにカメラの事しか考えてなくて、僅かな残りを愛娘と奥さんのことと古いアルファロメオ。
そんな感じなんです。
でね、ミラ子思ったんです。
カメラの道は辞めたけど、やっぱり私、書くことだけは続けてるなって。
書くことならその上司に胸張って言えるかも。
ほんなら、結果出せぃって秒で怒られそうだけど…(笑)
そもそも小説書いてること周りの誰も知らないですけどね(^_^;)
でもその上司の活躍ぶりには心を揺さぶられました。
感動。
カメラに向き合う姿勢に自然と熱いものが込み上げました。
自己満足、セルフ浄化システムだとしてもこれからも書くことは続けていきたいなぁ。
なんて、思った次第です。
とまぁ、何やかやで長くなりましたが最後までお付き合いくださりありがとうございました!
みなさんもお元気でーヽ(=´▽`=)ノ
ミラ子でした!