マリー
 飛び込んだ反動で体が一度浮かび上がったが、再び沈む。

知美は寝転んだまま、脇にある布団に手を伸ばす。

布団で胸から下を覆うと、電灯から伸びている紐をつかむ。

ぱちんという音の後、辺りが闇に包まれる。入り口からリビングの明かりが漏れているのを確認しながら、布団を顔の上まで引き上げた。

薄っすらと覗き見ることができた室内が何も見えなくなり、胸の奥の閊えが取れたかのように楽になる。

 これがこの家の日常だ。その日常は祝いの言葉で溢れる誕生日でさえも変わらない。知美は美佐から誕生日を祝われたこともなかった。つい数日前に終わった今年の誕生日でさえも、例外ではない。

 知美にとって親は川瀬美佐ただ一人だ。正確には血を分けたただ一人の存在だった。

 父親は彼女が産まれた頃にはこの世にいなかったのだ。

 父親である川瀬慎一がいつ亡くなったのかもしらない。

 理由を聞こうとすれば、先ほどのような仕打ちが待つ。だから聞いたこともほとんどない。

 ただ、通学路の途中にある桜が色鮮やかに彩る時、川瀬慎一の法事が行われる。

だから、彼はその時期に亡くなったのだろうということだけは分かっていた。
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