駅前ベーカリー
「作ったものじゃないし、そんなに高価なものじゃないけど…日頃の感謝と、…あと。」

 一番肝心のところが言えない。言葉にするべきことはわかるのに、顔が熱くて、頭が沸騰して言えない。

「…本命ってことで、いいですか?」
「…はい。」

 ずるいかもしれないけれど、今の理真にはそれが精一杯だ。岡田の手にそっと小さな箱を押しあてる。

「僕と付き合って、もらえますか?」
「こんな私でよければ、喜んで。」

 ふわりと香ばしい香りが理真を包む。傍から見たら公衆の面前で何をやっているのかと思われるだろう。しかし幸いなことに人気はほぼないに等しかった。

「美味しい匂いがする…。」
「理真さんはやっぱり甘い匂いがします。」

 抱きしめられるとまるでこれが自然のことだったかのように感じられるのだから恋とは身勝手なものだ。言うまでは言えないもどかしさで苦しいのに、通じてしまえば何もかもが幸福に満たされる。
 腕の力が緩み、少しだけ距離ができた。その距離を一瞬にして埋めたのは岡田の方だった。
 温くて甘い感覚が唇を伝って理真の脳に届く。

(キスってこんなに気持ちがよかったっけ?)

 軽く触れて離れた唇はなんだか無性に名残惜しかった。

「…理真さん、そういう目は止まれなくなるのでひとまずやめてください。」
「え?」
「誘ってるんですかってことです。」
「ちっ…違っ…!」
「…分かってますよ。寒いですし、帰りましょう。」

 すっと伸びた手に穏やかな気持ちで左手を預けた。自然と絡まる指につい笑顔になる。理真の笑顔につられて岡田も笑顔だ。

「理真さんの指、思っていたよりもずっと細いです。」
「岡田くんの指は思っていたよりもずっとしっかりしてる。」
「そりゃあ僕も男ですから。」

 きゅっとさらに力の込められた指にどこか安堵する。

「今度理真さんのお家にお邪魔してもいいですか?」
「いい、けど、その前にちゃんと片付ける時間をくれないと…厳しいかもしれない。」
「僕も一緒にやりますよ。」
「…ほんと、岡田くんは私を甘やかす。」
「そんなつもりはないんですが。」
「そうなの?」
「僕が理真さんにしたいことをしてるだけ、なんですけどね。」
「岡田くんって天然のお砂糖かも。」
「じゃあ疲れたときには僕で回復してくださいね。」

 再びパンの香りが強くなったとき、理真の視界は雪を一度だけ映して、岡田だけになった。

「お味はいかがですか?」
「…やっぱり、甘い。」

*fin*
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