駅前ベーカリー
「そこを曲がったところのアパートです。」
「うちのベーカリーから本当にすぐなんですね。」
「そうなんです。」

 本当に家まで送ってもらってしまった。あまりに近い距離になんだか申し訳ない気持ちでいっぱいになる。

「というかすみません。こんなに近いのに送ってもらっちゃって。」
「いえいえ。僕が送りたかっただけです。なので理真さんはお気になさらずに。」

 穏やかなようでいて、それだけではない言い方は理真を気遣うものでもある。

「っくしゅん!」

 はっと口元を押さえた時にはもう遅かった。可愛げのないくしゃみが飛び出た。

「っ…すみません!」
「いえいえ。朝晩は寒いですもんね。早くお家に入ってください。」
「送ってもらっちゃって本当にありがとうございました。それにパンもいっぱいもらっちゃって、ありがとうございます。またベーカリー行きます。」
「ええ、ぜひ。あ、でも明日は大丈夫ですよ。応援、行くから会えますし。」

 照れた様子もなくさらりとそんなことを言われ、理真の方が赤面する。自意識過剰と言われても仕方がないが、火照る頬は変えられない。

「あ、えっと…はい。見られても大丈夫なくらいには頑張ります!」
「あはは。はい。頑張ってください。それじゃ、おやすみなさい。」
「おやすみ、なさい。」

 何故か耳に甘く響く『おやすみなさい』という言葉。彼氏なんていたのはもう2年も前の話だ。そんな自分が男の人とあんな風に話せたことは奇跡に近いし、あんなに穏やかに『おやすみ』と言われたことも覚えている限りでは多分ない。
 パタンとドアを閉め、火照った頬に手を添える。

「…はぁ、なんか…一人ではしゃいじゃってバカみたい。」

 相手は自分をもちろんそんな風には見ていないだろうし、自分だって出会ってそんなに経っていない相手をそんな風に見るなんてどうかしている。
 疲れているんだ、自分。だから優しくて穏やかな彼に何となく癒される。

(寝よう、こんなこと考えている場合じゃない。)
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